言葉は消えない。だから私は書き続ける。
法廷の静寂に宿る、一人の速記官の35年
桐島 文江58歳
裁判所速記官 / 東京高等裁判所(架空)
東京都千代田区・キャリア35年
神奈川県横浜市出身。20歳で裁判所速記官試験に合格し、以来35年間にわたって東京地方裁判所・東京高等裁判所で勤務。殺人事件から経済犯罪、家族紛争まで、数千件の裁判記録を担当してきた。速記技術の後継者育成にも力を注ぎ、現在は研修講師も兼任している。
「「記録とは、真実が息をする場所である」」
Interviewer
今日はお時間をいただきありがとうございます。まず最初に、速記官という職業を知らない方も多いと思います。どんなお仕事か、ご自身の言葉で教えていただけますか?
桐島 文江
簡単に言えば、法廷で交わされるすべての言葉をリアルタイムで記録する仕事です。でも「簡単に言えば」という表現が、すでにこの仕事の本質を損なっているかもしれません(笑)。裁判というのは、人の人生が決まる場所です。そこで発せられた言葉は、一字一句が証拠になり得る。誰かが「たぶん」と言ったのか「絶対に」と言ったのか、その違いが判決を左右することもある。私たちはただの書記ではなく、言葉の番人なんです。
Interviewer
速記という技術自体、一般にはなかなか馴染みがないですよね。どのくらいの速さで書けるものなのでしょうか?
桐島 文江
私の場合、1分間に約350字から400字ほど書けます。日常会話の速さであれば追いつけますが、感情が高ぶった証人の方や、早口の弁護士の方は本当に大変です。速記には独自の記号体系があって、通常の文字とはまったく異なる形で書きます。「あ」という音も、速記では一本の線になる。入門から実用レベルになるまで、最低でも3年はかかります。私自身、最初の1年半は「向いていないんじゃないか」と何度も思いました。夢の中でも速記記号が出てきて、うなされたこともあります(笑)。
Interviewer
そもそも、なぜ速記官を目指そうと思ったんですか?
桐島 文江
正直に言うと、最初は「法律の仕事」という漠然としたイメージだけでした。高校3年生のとき、父が交通事故の被害者になって、民事裁判を起こしたんです。私は傍聴席に座って、あの法廷の空気を初めて体験した。厳粛で、ピリピリとしていて、でもどこか静かな場所。その端っこに、黙々と手を動かし続けている人がいた。後で父に聞いたら「速記官」だと教えてくれた。なんとなく、その人の姿が頭から離れなかったんです。法廷の喧騒の中で、ひとりだけ別の次元にいるような、そんな印象を受けました。
Interviewer
お父様の裁判がきっかけだったんですね。その裁判はどうなりましたか?
桐島 文江
父は勝訴しました。でも正直、勝った、負けたより、裁判が終わったときの父の顔が忘れられない。なんというか、憑き物が落ちたような顔で。「全部、ちゃんと記録に残ったな」とつぶやいたんです。その言葉が、ずっと私の中にあります。記録に残ること——それが人に与える安堵感がある。それを作り出す側に立ちたいと思ったのかもしれません。
Interviewer
35年のキャリアの中で、特に印象に残っている事件や瞬間はありますか?
桐島 文江
個別の事件の詳細は守秘義務があってお話しできないのですが……ある殺人事件の審理で、被告の方が突然、それまでの供述を全部ひっくり返したことがありました。法廷が凍りついたような静寂になって。私の手だけが動いていた。そのとき、私は自分が何かとても重要なものの真ん中にいると感じた。後日、その翻意した供述が無罪につながったと聞いたとき、私の記録がその言葉を正確に捉えていたことの意味を、改めて噛みしめました。誇らしいとか嬉しいとかじゃなく、もっと静かな、責任感のような感情でした。
Interviewer
責任感という言葉が出ましたが、この仕事の重圧はどのように受け止めてきましたか?
桐島 文江
若い頃は、重圧を「恐れ」として受け取っていました。「ミスをしたら」という恐怖が常にあった。入庁して5年目に、書き取りの一部で聞き取りが不明瞭になって、後に録音記録と照合して修正が必要になったことがあった。大きなミスではなかったのですが、私は一週間、眠れなかった。でも上司がこう言ってくれたんです。「桐島、完璧な記録より、正直な記録を作れ。わからなかったことをわからないと記すのも、速記官の仕事だ」と。その言葉で少し楽になって、重圧との向き合い方が変わりました。
Interviewer
35年の中で、最大の転機となった出来事を教えてください。
桐島 文江
40代半ばに、腱鞘炎が重症化して、半年間、速記ができなくなったことです。医者に「このまま続ければ、二度と書けなくなる可能性がある」と言われた。それまで私にとって、手は道具でしかなかった。でも動かなくなって初めて、この手がどれだけ自分の一部だったかがわかった。デスクワークに回されて、書類整理をしながら、正直、何度か辞表を書こうとしました。この仕事ができないなら、私はここにいる意味がないと思って。
Interviewer
それを乗り越えたのは、何があったからですか?
桐島 文江
休職中に、後輩の速記官の研修をたまたま手伝うことになったんです。教えるために、自分が何十年もかけて無意識にやっていたことを言語化しなきゃいけない。それが想像以上に難しくて、でも面白かった。「なぜ感情が高ぶった発言は聞き取りにくいのか」「どこで呼吸を整えるか」——そういうことを初めて考えた。そのとき気づいたんです。私の仕事は手だけじゃない、と。35年で積み上げてきた「聴く力」「場を読む力」、それが本当の財産だって。リハビリを続けながら、半年後に法廷に戻ったとき、以前より集中できていた気がします。一度失いかけたから、余計に。
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Interviewer
現在は後継者の育成にも携わっていると伺いました。若い世代を育てる中で、感じることはありますか?
桐島 文江
今の若い方たちは、本当に優秀です。習得が早いし、技術的な部分への飲み込みは私たちの世代より断然いい。でも一つだけ気になることがある。「記録すること」と「聴くこと」を切り離して考えている子が多い気がするんです。速記は入力作業ではない。人が言葉を発するとき、その人がどういう状態にあるかを感じながら書かないと、言葉の温度が消えてしまう。裁判記録は後で読まれます。そのとき、ただ正確なだけじゃなく、その場の空気が伝わる記録でないといけない。それを教えるのが、一番難しい。
Interviewer
「言葉の温度」というのは、具体的にどういうことでしょうか?
桐島 文江
例えば、証人が「知りません」と言ったとする。それだけ見れば同じ言葉です。でも、間髪入れずに言ったのか、3秒間沈黙してから言ったのか、声が震えていたのか——それは記録に残せる情報ではないかもしれない。でも、その「知りません」を書くときの私の手の速さや力加減が、わずかに変わる。それが記録者の感性として、なんとなく文章のリズムに影響する気がしています。科学的な話ではないですよ(笑)。でも、法律家たちが後で記録を読んで「あの証人はおかしかった」と感じるのは、そういう見えない何かが宿っているからじゃないかと、私は勝手に信じています。
Interviewer
デジタル化や音声認識技術の発展で、速記官という職業の将来についてはどうお考えですか?
桐島 文江
正直に言えば、危機感はあります。AI音声認識の精度は年々上がっていて、すでにいくつかの裁判所では補助的に導入されています。でも私は、完全に置き換えられることはないと思っています——少なくとも今の技術では。裁判の場というのは、雑音がある、人が同時に話す、感情で声が変わる、専門用語と口語が混在する。そういう「カオス」をリアルタイムで整理する能力は、まだ人間の方が優れている。でも、それに甘えていてはいけない。私たちは常に「AIにはできないこと」を磨かなければならない。そういう意味では、腱鞘炎のときと同じです。失いかけたとき、本当の価値がわかる。
Interviewer
この仕事をしていて、「やっていてよかった」と感じる瞬間はどんなときですか?
桐島 文江
地味な話なんですが……数年後に、自分が担当した裁判の記録が証拠として再利用されることがあるんです。控訴審で、一審の記録が参照される。そのとき、自分が書いた記録がきちんと機能しているのを目にすると、じわりとした充実感があります。私はもうその法廷にいないのに、私の記録がまだ仕事をしている。それがこの仕事の特別なところだと思います。弁護士さんや裁判官は、判決という形で名前が残ることがある。私の名前は表に出ない。でも言葉は残る。言葉が生きている限り、私もそこに少しいる気がするんです。
Interviewer
プライベートでは、言葉とどう向き合っていますか?仕事で言葉を扱い続けて、疲弊することはないですか?
桐島 文江
若い頃は疲弊しました。法廷で人の感情の極限を毎日聴いていると、家に帰っても頭から離れない。しばらくテレビも音楽もつけられない時期があった。今はうまくスイッチを切れるようになりましたが、それでも休日は意識して「書かない」「速く聴かない」ようにしています。のんびりとした喫茶店で、隣の人の雑談を、ただの雑談として聴く。速記しない自分を取り戻す時間が必要なんです。あと、日記をつけているんですが、わざとゆっくりとした字で書く。乱筆で、誤字があっても直さない。それが私にとっての解放です(笑)。
Interviewer
残りのキャリアで、成し遂げたいことはありますか?
桐島 文江
一つは、速記の技術を体系的に文書化することです。これまで「見て覚えろ」「感じろ」という部分が多すぎた。それを言語化して、次の世代がもっと早く、もっと確かに習得できる道筋を作りたい。もう一つは、個人的な夢ですが……自分が担当したすべての裁判で学んだことを、いつか一冊の本にまとめたいと思っています。事件の話ではなく、言葉についての本です。人が極限状態で発する言葉の、その美しさと怖さについて。法廷ほど言葉が研ぎ澄まされる場所は、他にないと思っているので。
Interviewer
最後に、これから何かの仕事に就こうとしている若い方たちへ、メッセージをお願いします。
桐島 文江
「地味な仕事を選ぶな」と言う人がいますが、私はそれが嘘だと35年かけて証明してきたつもりです。どんな仕事でも、本当に深く入り込めば、そこには宇宙があります。私は法廷の片隅で、ずっと手を動かしてきた。名前も顔も出ない仕事です。でも、私が書いた言葉の上で、人の人生が変わった瞬間を、私は何千回も目撃してきた。それは、誰かに見えないところでも、確かに起きていた。仕事の価値は、人から見えるかどうかじゃない。自分が、それを信じられるかどうかです。信じ続けられる仕事を、どうか見つけてください。
インタビューが終わり、桐島さんがコーヒーカップを置いた瞬間、彼女の指先が微かにテーブルの上を走るのを、私は見逃さなかった。35年分の言葉が、今もその指に宿っているかのように。法廷という舞台では、主役は常に裁判官であり、弁護士であり、被告であり、証人だ。桐島文江という名前は、どの判決文にも登場しない。しかし彼女がいなければ、その判決を生んだ言葉たちは、空気の中に消えていた。記録とは記憶であり、記憶とは人の尊厳を守ることだと、帰り道にようやく気づいた。名もなき番人が、今日も法廷の片隅で、手を動かし続けている。
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