言葉の橋を渡って、世界に届ける魔法
ゲームローカライズ翻訳者・桐嶋凪沙が語る「魂を翻訳する」という仕事

桐嶋 凪沙38歳
ゲームローカライズ翻訳者・ローカライズディレクター / 株式会社ランゲージブリッジ
東京都杉並区・キャリア14年
大学でフランス語と英語を専攻後、出版社勤務を経て29歳でゲームローカライズの世界へ転身。これまでに30タイトル以上のRPGやアドベンチャーゲームの日本語版制作に携わる。特にキャラクターの台詞ニュアンス再現において業界内で高い評価を受け、現在は後進の育成にも力を入れている。
「「翻訳とは、作者の夢を別の言語で再び見ること」」
Interviewer
まず最初に聞かせてください。桐嶋さんにとって、ゲームのローカライズ翻訳とは何ですか?
桐嶋 凪沙
よく「翻訳」ってひとことで言われるんですけど、私はずっと「再創作」だと思っています。たとえば英語のゲームを日本語にするとき、単純に言葉を置き換えるだけじゃ、キャラクターは死んでしまうんです。そのキャラクターがどういう育ちで、どんな感情を持っていて、なぜその言葉を選んだのか——全部考えて、初めて「日本語で生きているキャラクター」が産まれる。だから私は毎回、自分がその世界の住人になりきってから翻訳を始めます。
Interviewer
「住人になりきる」というのは、具体的にどういうことをするんでしょうか?
桐嶋 凪沙
たとえば中世ヨーロッパ風のファンタジーゲームなら、関連する歴史小説を読んだり、当時の口語表現を調べたりします。でも一番大事にしているのは、キャラクターシートを自分で作り直すことですね。開発元から来るドキュメントとは別に、「このキャラクターは日本語だったらどんな話し方をするか」という独自のプロファイルを一人一人作る。語尾のクセ、好んで使う接続詞、怒ったときに語彙が変わるかどうか。そういう細かいところまで決めてから翻訳に入ります。(笑)我ながら変態的だとは思うんですけど。
Interviewer
もともとはゲーム翻訳者を目指していたわけではなかったそうですね。最初のキャリアについて聞かせてもらえますか?
桐嶋 凪沙
大学を出てから、最初は出版社に就職して文芸書の翻訳の補助をしていました。フランス語の小説とかエッセイとか。それはそれで好きだったんですけど、どこか息苦しさもあって。文芸翻訳って、原文の「重さ」をそのまま日本語に乗せることが美徳みたいな風潮があるじゃないですか。もちろんそれが正しいこともある。でも私は、もっと言葉が「動いている」感じが好きだったんです。キャラクターが走り回って、叫んで、泣いて——そういう生きた言葉に触れたかった。
Interviewer
そこからゲーム翻訳への転身のきっかけは何だったんですか?
桐嶋 凪沙
ある海外のRPGゲームを自分でプレイしたことです。仕事帰りに買って、深夜に起動したら、もう朝まで止まらなくて(笑)。そのゲームの日本語版が出たとき、翻訳を読んで「あ、ここ違う」って感じることが何度もあったんです。悪い翻訳というわけじゃなくて、「私ならこうするな」という感覚。それが止まらなくなって、有志翻訳のコミュニティに参加して、自分で翻訳し直したものをネットに上げ始めたんです。そこからコネクションができて、気づいたらランゲージブリッジの前身の会社に声をかけてもらっていました。29歳のときです。
Interviewer
転職は怖くなかったですか?出版社でのキャリアを捨てることへの葛藤は?
桐嶋 凪沙
怖かったですよ、もちろん。親には「ゲームを仕事にするの?」って何度も聞かれましたし(苦笑)。でも正直に言うと、怖さより好奇心の方が勝っていた。ゲームって、文学・映画・音楽・絵画・インタラクション、全部が一つの世界に入っているじゃないですか。それを翻訳するって、文芸の何倍も複雑で、でも何倍も面白い仕事だと思ったんです。リスクを取った後悔より、やらなかった後悔の方が怖かったというか。
Interviewer
入ってみて、一番最初にぶつかった壁は何でしたか?
桐嶋 凪沙
「テキストの量」と「文字数制限」の二重苦ですね(笑)。文芸翻訳では、言葉が足りなければ補足できる。でもゲームは違う。画面のUIに収まる文字数が厳密に決まっているんです。たとえば「I've been waiting for you my whole life.(ずっと待っていたんだ、一生をかけて)」みたいなセリフを、15文字以内に収めてくれ、と言われる。意味と感情と文字数を全部クリアする言葉を探すのが、最初の頃は本当に苦しかった。夜中に辞書を引きながら、「ずっと待ってた」じゃ弱い、「一生待ってたんだ」じゃ長い、「待ってたよ、ずっと」なら……みたいなことを何時間もやる。でも今は、そのパズルが一番好きな作業になってます。
Interviewer
14年のキャリアの中で、一番印象に残っている仕事を教えてもらえますか?
桐嶋 凪沙
4年前に担当した、北欧のスタジオが作ったアドベンチャーゲームです。認知症の祖父と孫娘の物語で、祖父のセリフが徐々に支離滅裂になっていく、というデザインのゲームでした。英語版でも相当繊細な設計がされていて、「ちゃんとした文章が崩れていく」過程を日本語でどう表現するか、すごく悩みました。英語と日本語では「言語の崩れ方」が根本的に違う。英語は語順が崩れるけど、日本語は助詞が抜けたり、敬語が突然混ざったり。開発チームとメールで何十回もやり取りして、「この崩れ方は病気の進行とリンクしているのか」「この場面でこのキャラクターはどの程度自分を認識しているのか」まで確認しました。
Interviewer
それは相当なプレッシャーだったと思います。
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桐嶋 凪沙
プレッシャーというより、責任感でしたね。リリース後に、認知症の家族を持つユーザーの方からメッセージをいただいたんです。「父のことを思い出しました。日本語版の祖父の話し方が、父とそっくりで泣きました」って。その言葉を読んで、しばらく画面を見られなかった。翻訳者って、基本的にはクレジットにも名前が出ないし、縁の下の力持ちというか、透明な存在なんです。でも誰かの心に届いたとき、この仕事をやっていてよかったと、本当に思えます。
Interviewer
逆に、プロとして最も苦しかった経験を教えてもらえますか?
桐嶋 凪沙
キャリア8年目に、あるビッグタイトルのローカライズを任されたんです。チームをまとめる立場で初めて入った大型プロジェクトで、スタッフ12人、テキスト量は800万文字超。納期も非常にタイトで、途中でスタッフの一人がメンタルを崩して離脱してしまった。私自身も睡眠は3〜4時間、ご飯も適当で……リリース後にプレイヤーから指摘をもらって、確認したら翻訳のミスが数十か所あったんです。その指摘リストを見たとき、悔しくて悔しくて、一人で泣きました。クオリティに誇りを持ってやってきたのに、チーム全員の限界の中でそれが守れなかった。あの経験が、今の私の「翻訳者の働き方改革」への執着につながっています。
Interviewer
その経験から、何を変えましたか?
桐嶋 凪沙
まず、「無理なスケジュールはNOと言う」ことを徹底しました。クライアントに嫌われる覚悟で、「このスケジュールではクオリティが保証できません」とはっきり言うようにした。最初は怖かったけど、不思議なことに、ちゃんと交渉すれば大抵は調整してもらえる。それと、翻訳者のメンタルケアを組織的にやるようになりました。特にダークな内容のゲーム——暴力や喪失、差別的な表現を含む作品——を翻訳するときは、定期的にスタッフと話す場を作って、「テキストが自分に与えている影響」を意識的に扱うようにしています。言葉は、書く人の心にも刺さるから。
Interviewer
最近、AIによる翻訳技術が急速に発展していますが、ローカライズの現場はどう変わっていますか?
桐嶋 凪沙
正直に言うと、AIはすごく便利なツールになっています。一次翻訳の草稿を出すスピードは格段に上がった。でも、AIが今でも苦手なことがあります。それは「文脈の感情」と「意図的な破綻」です。さっき話した認知症のキャラクターみたいに、文法的に「間違っている」ことに意味がある場合、AIは正しく直そうとしてしまう。ギャグの「間」も難しい。面白いセリフって、ちょっとズレたところに笑いが生まれるんですけど、そのズレをAIは削ってしまう。だからうちのチームでは「AIは骨格を作る、人間は魂を入れる」という役割分担をしています。
Interviewer
これからの時代、ゲームローカライズ翻訳者に必要なスキルは何だと思いますか?
桐嶋 凪沙
語学力はもちろん前提として、私が一番大事だと思うのは「ゲームを愛していること」です。これは比喩じゃなくて、ゲームをプレイしてきた蓄積がそのまま翻訳に出るんです。このジャンルのゲームはこういう語感が合う、このキャラクターはこういう系譜に連なる——そういう感覚は、ゲームを生きた文化として理解しているからこそ出てくる。あとは「諦めない粘り強さ」(笑)。完璧な訳なんてないから、最後の1秒まで「もっといい言葉があるはず」って考え続けられるかどうか。それが仕事の質を決めると思っています。
Interviewer
後進の育成にも力を入れているとのことですが、若い翻訳者に伝えたいことは何ですか?
桐嶋 凪沙
「自分の翻訳を愛しすぎないこと」ですね。新人の頃って、自分が作ったセリフにすごく執着してしまう。でも翻訳は最終的にはゲーム全体の一部なので、「この部分が私の作品」という感覚を手放すことが大事です。チームで直されても、クライアントの意向で変えられても、それで世界がより良くなるなら、そっちの方がいい。逆に言うと、自分のこだわりを持ちながら、でも手放す柔軟さも持つ——その両方が必要です。あと、とにかくいろんな作品に触れてほしい。小説、映画、漫画、お笑い、落語まで。言葉の引き出しは、人生全体で作るものだから。
Interviewer
最後に、桐嶋さんにとってこの仕事の本質的な喜びとは何ですか?
桐嶋 凪沙
ゲームって、プレイヤーが何十時間も一緒に過ごす世界じゃないですか。その世界の言葉を作るということは、誰かの大切な記憶の一部を作ることでもある。「あのキャラクターのあのセリフが忘れられない」という体験の、その言葉の部分を私たちが作っている。それがたまらなく嬉しい。誰かの人生の物語の中に、ほんの少しだけ混ざり込んでいる感じ。姿は見えないけど、確かにそこにいる。翻訳者って、そういう存在なんだと思っています。透明だけど、消えていない。私はこの仕事が、本当に好きです。
インタビューを終えた後も、桐嶋は再びデスクに向かい、付箋に何かを書き始めた。「あ、さっき話しながら思いついたんです」と彼女は言って、一行のセリフを見せてくれた。それは今担当中のゲームの、主人公の最後のセリフの候補だった。14年間、無数の言葉を産み直してきた翻訳者の手は、今日も止まらない。誰かが遠い夜に開くゲームの中で、彼女の魂は静かに息をしている。
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