100円の皿に、海の魂を乗せる
回転寿司ネタ開発者・浅間彩太郎が語る「驚き」と「日常」のあいだ

浅間彩太郎47歳
回転寿司ネタ開発者(商品開発部 チーフディベロッパー) / 株式会社スシノミクス(回転寿司チェーン「海廻り」運営)
神奈川県横浜市・キャリア22年
愛媛県宇和島市出身。地元の漁師の家に育ち、幼少期から海と魚に親しむ。東京の調理師専門学校を卒業後、築地市場の仲卸業者に7年間勤務。32歳でスシノミクスに入社し、現在は年間30品以上の新ネタ開発を指揮する。開発したネタの累計販売数は2億皿を超える。
「「一皿に、物語を。」」
Interviewer
桐島さんが「ネタ開発者」という仕事に就かれていると聞いて、最初は正直、どんな仕事なのか想像がつきませんでした。一日の仕事はどんなふうに始まるんですか?
浅間彩太郎
朝7時には必ず市場か漁港にいます。今日は横浜の競り場に行ってきたんですが、まずとにかく触るんです。目利きって「見る」ものだと思われがちですが、実は触感と匂いのほうが情報量が多い。魚の腹の張り、えらの弾力、体温感——それで「このアジなら酢で締めて10日後でも食べられる」「この真鯛は3日以内に使い切れ」というのが分かってくる。それからオフィスに戻って試作の確認をして、夕方にはまた別の産地の生産者とビデオ通話する。気がついたら夜中という日も珍しくないですね。
Interviewer
愛媛の漁師の家のご出身だと伺いました。魚は子どものころから身近な存在だったんですか?
浅間彩太郎
身近どころか、生活の全部でした(笑)。父が小型定置網の漁師で、祖父も漁師。宇和島の魚市場に5歳から連れていかれて、まだ夜明け前の暗いうちから濡れた長靴を履いて走り回っていました。魚の名前は学校で習う前に全部知ってた。でも当時は「魚が好き」というより「魚しかない」という感じで、東京に出るまで自分にとって魚がどれだけ特別なものかは分からなかった。離れてみて初めて分かる故郷みたいなものですよね。
Interviewer
調理師専門学校を経て、築地の仲卸業者に7年。その経験が今の仕事にどう生きていますか?
浅間彩太郎
築地の7年間は、僕にとって「大学院」でした。仲卸って、板前さんと漁師の両方と毎日会話しなければいけない。「このカマスは今週どう使うか」「来月の桜鯛はどのくらい出る見込みか」——漁の世界と料理の世界の橋渡しをする仕事なんです。そこで覚えたのは、魚には「旬の顔」と「産地の個性」があるということ。同じ鯵でも長崎と千葉では脂の乗り方が全然違う。その違いをどう料理に変換するかを毎日考えていたことが、ネタ開発の基礎になっています。逆に言えば、あの7年がなければ今の僕はいないと断言できる。
Interviewer
でもその後、回転寿司チェーンに転職されたときは、周囲に驚かれたんじゃないですか?
浅間彩太郎
驚かれましたよ。というより、馬鹿にされました(苦笑)。築地の先輩に「桐島、お前は何を考えてる。百円皿の世界に行くのか」ってハッキリ言われた。当時の自分にも正直、葛藤はありました。でも、あるとき居酒屋で横に座った家族連れが回転寿司の話をしていたんです。5歳くらいの子どもが「次の日曜日、回転寿司に行きたい!」ってキラキラした目で言っていた。そのとき「ああ、回転寿司って日本で一番、多くの人が最初に食べる〝寿司〟なんだ」と気づいたんです。だとしたら、ここにどれだけ真剣に向き合うかで、日本人の魚への愛着が変わるかもしれない。その思いが決め手になりました。
Interviewer
入社当初は、どんなことから取り組まれたんですか?
浅間彩太郎
最初の1年はほぼ店舗観察だけです。全国の直営店100店舗以上を回って、お客さんがどのネタをどんな表情で食べているかをひたすら見た。メモ帳が30冊くらいになりました。分かったのは、「人は皿の色と形よりも、隣の人が食べているものを真似する」ということ。つまりネタ開発は、1枚目の皿を手に取る勇気を与えることが大事なんです。いくら美味しいものを作っても、誰も最初に取らなければ存在しないも同然。見た目の「親しみやすさ」と「少しの意外性」のバランスが、回転寿司ネタの命だと悟りました。
Interviewer
これまでに特に印象に残っている、大ヒットした商品はありますか?
浅間彩太郎
「炙り塩麹サーモン」です。7年前に開発したもので、今でもうちのチェーンで年間販売数ナンバー1を争っています。あれは正直、誰も予測していなかった。塩麹って当時すでにブームが過ぎていたんですよ。でも僕は「塩麹はブームじゃなくて、日本人のDNAに刻まれた発酵の記憶だ」と思っていた。サーモンは脂が強いから、麹の乳酸系の酸味でスッと切れる。さらにバーナーで炙ることで麹の香ばしさが立つ。3つの要素が重なったとき、「これは100円の宝石だ」と確信しました。試食した社内の若いスタッフが思わず「え、なにこれ」と言った瞬間を今でも覚えています。あの「え」が出たら勝ちなんです。
Interviewer
逆に、大きく失敗した経験はありますか?
浅間彩太郎
あります。忘れられない失敗が。入社5年目のころ、「高級路線で勝負したい」という思いが強くなって、本マグロ大トロを使った超豪華ネタを300円皿で出したことがある。味は完璧でした。原価計算も通った。でもフタを開けたら、売れ行きが散々だった。理由を調べたら「回転寿司に来て300円を出すことへの罪悪感」があるというんです。お客様のメンタルブロックを完全に読み誤っていた。そのとき気づいたんですが、回転寿司は「日常の非日常」を売る場所なんです。ちょっとだけ贅沢、ちょっとだけ珍しい——その「ちょっと」の幅を超えてはいけない。この失敗で、僕の開発哲学が完全に変わりました。
Interviewer
「日常の非日常」という言葉、もう少し詳しく聞かせてもらえますか?
浅間彩太郎
たとえば水曜日の夜、疲れたお父さんが家族を連れてうちの店に来たとするじゃないですか。子どもはコーンマヨをわしわし食べて、奥さんはえびアボカドを喜んで、そのお父さんが「あ、これ何だろう」と手を伸ばして食べたら「ん、意外と美味しいな」という顔になる——その一瞬のためにネタを作っているんです。旅行でも晴れ舞台でもなく、水曜日の夜を少しだけ輝かせる。それが回転寿司の本当の役割だと思っています。だから僕は毎回、「疲れたお父さんが手を伸ばすか」を試作のたびに自問します。
Interviewer
開発のプロセスはどんな流れですか?アイデアはどこから来るんでしょう?
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浅間彩太郎
アイデアの出発点は3つあります。ひとつは「素材の声」——市場で見た珍しい魚や、不漁で余った魚が「どう使ってほしいか」を考える。もうひとつは「社会の風景」——街を歩いて流行りの調味料や、若い人が行列を作る店を観察する。3つ目は「記憶の引き出し」——自分の幼少期の味、母が作ってくれた料理、旅先で食べた一口。この3つが偶然に交差したとき、「これだ」というネタが生まれる。たとえばある年、高知の漁師さんから「カツオの端材が大量に余っている」という連絡が来た。同じ時期に若者の間で「ユッケ風アレンジ」が流行っていた。そこに子どものころ祖母が作ってくれた「麦みそ和え」の記憶がくっついた。そうして生まれたのが「カツオの韓国風みそユッケ」です。この3点が揃わないと、僕は動きません。
Interviewer
チームはどんな構成になっているんですか?一人で開発しているわけではないですよね?
浅間彩太郎
今は8人のチームです。管理栄養士、フードコーディネーター、元居酒屋料理長、水産大学出身の研究員、そして20代のマーケター2人。わざと「魚の素人」を入れているんです。20代のマーケターは魚の目利きは全くできないけれど、「これ、インスタ映えするかな」「この名前、ちょっとダサくないですか?」という感覚は僕より鋭い。ネタは味だけじゃない。名前、色、乗せ方、皿に着いてから剥がれるまでの4秒間の見た目——全部が合わさって「一皿の体験」になる。だから多様な視点が絶対に必要なんです。
Interviewer
お仕事で一番苦しい瞬間はどんな時ですか?
浅間彩太郎
産地の漁師さんの顔が浮かぶときです。ネタ開発って実は廃盤も開発と同じくらい大変で、売れなければ半年でメニューから消える。そのネタのために素材を増産してくれた生産者がいたりする。「今年はたくさん作ったよ」と電話をくれた漁師さんに、「申し訳ありません、来シーズンからこのネタは終了になります」と言わなければならない夜がある。あの瞬間が一番重たい。だから僕は産地に行くたびに「10年付き合える素材を探す」と決めています。一時のトレンドで人の生業を巻き込みたくない。これは美味しさの問題じゃなく、仕事の倫理の問題です。
Interviewer
キャリアの中で最大の転機は何でしたか?
浅間彩太郎
42歳のとき、父が倒れたんです。脳梗塞で、左半身に麻痺が残った。見舞いに宇和島に帰ったとき、父がリハビリで少し外出できるようになっていて、家族みんなで近所の僕のチェーン店に行ったんですよ。「海廻り」の宇和島店に。父はなかなか箸が使えないから、手で取りやすいネタをいくつか勧めました。そのとき父が初めて「お前の会社の寿司か」と言って、炙り塩麹サーモンを食べたんです。何も言わなかったんですけど、目が少しうるうるしていた。漁師の父が、息子が作った回転寿司のネタを食べて泣いているんですよ。その場では何も言えなかったけれど、帰りの新幹線でひとりでわんわん泣きました。「百円の皿で十分じゃないか。お父さんに食べてもらえた、それだけで十分じゃないか」って。あれ以来、迷ったときは必ず「父が泣くか」で判断するようにしています。
Interviewer
その経験が、今の仕事への姿勢に影響を与えているんですね。
浅間彩太郎
根っこが変わりました。それまでは「どうすれば驚いてもらえるか」という発想が強かった。でもそれ以来、「どうすれば誰かの大切な時間に、そっと寄り添えるか」という発想に変わった。回転寿司って、誕生日でも葬式の翌日でも、受験合格の日でも普通の月曜日でも、人々が来る場所なんです。そのどの瞬間にも「あ、美味しい」と思ってもらえる一皿を用意することが、僕の仕事の本質だと今は思っています。
Interviewer
最近、特に力を入れている取り組みや、挑戦していることはありますか?
浅間彩太郎
今は二つのテーマを同時に追いかけています。一つは「未利用魚」の開発です。日本では漁獲されても規格外として流通に乗らない魚が年間数十万トンある。それを美味しくレギュラーネタにできれば、漁業の持続可能性と食品ロス削減に直接貢献できる。今、長崎のヒメコダイという魚でいい感触を掴んでいます。もう一つは「記憶を呼ぶネタ」——高齢のお客様が食べたとき、懐かしい料理の記憶が蘇るようなネタです。認知症の方の回想療法に寿司が使えるんじゃないかという研究者と組んで、地域の郷土料理を寿司ネタに変換するプロジェクトを進めています。これは売れるかどうかより、やらなければならない仕事だと感じています。
Interviewer
これから業界に入ろうとしている若い人たちへ、何かメッセージはありますか?
浅間彩太郎
「地味な仕事を馬鹿にするな」ということです。僕は回転寿司という、料理業界では軽く見られることもある場所で22年間やってきた。でも1皿100円という制約の中で最高の味を出すことは、どんな高級店のコースより難しいと本気で思っています。制約こそが創造を生む。それから、食べることは絶対にサボらないでほしい。旅先で、祭りで、路地裏の定食屋で、何でも食べる。そのすべてが引き出しになる。僕の頭の中にある「味の記憶」は1万皿以上ありますが、それがないとアイデアは出てこない。食べることは最大の勉強です。
Interviewer
最後に、桐島さんにとって「良いネタ」とは何ですか?
浅間彩太郎
食べ終わったあとに「あの皿、何だったっけ」と名前が出てこなくても、「あのとき美味しかったな」という感触だけが体に残るネタです。主役じゃなくていい。その日の夕食の記憶の中に、そっと混じっていてくれればいい。100円の皿って、そういう存在だと思っているんです。華やかさじゃなく、密かな確かさ——それを追いかけ続けることが、僕の一生の仕事だと思っています。
インタビューの最後、桐島は鞄から小さなメモ帳を取り出した。ページをめくると、びっしりと書き込まれた魚の名前と産地、それに「水曜日の夜のお父さんが笑う?」という自問が繰り返し書かれていた。100円という価格の中で、彼が守ろうとしているものは途方もなく大きい。誰かの日常を、少しだけ光らせること。その一点に22年間を懸けてきた男の背中は、夕暮れの港を静かに映していた。
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