最期の姿が、その人の全てを語る
納棺師・児玉雫花が向き合う「死」という名の仕事

児玉雫花47歳
納棺師 / 有限会社 花結葬祭
石川県金沢市・キャリア22年
石川県金沢市出身。もともと美容師として働いていたが、祖母の死をきっかけに25歳で納棺師の道へ転身。現在は「花結葬祭」に所属しながら、後進の育成にも力を注ぐ。遺族の心に寄り添う「復元納棺」の技術と精神性が業界内で高く評価されており、県内外からの依頼が絶えない。
「最後の一瞬を、最初の出会いのように」
Interviewer
白川さん、今日はお時間をいただきありがとうございます。まず最初に聞かせてください。納棺師という職業を知らない方も多いと思います。一言で表すとしたら、どんな仕事ですか?
児玉雫花
そうですね……「最後のお支度をする人」でしょうか。亡くなった方のお体を清め、お化粧を施し、旅立ちのための装いを整える。ただそれだけではなくて、故人の方がどんな人生を歩んできたか、どんな表情で愛する人たちのそばにいてほしいか——それを遺族の方と一緒に考えながら、形にしていく仕事です。
Interviewer
もともとは美容師をされていたと伺いました。なぜ納棺師の道へ転身したのですか?
児玉雫花
25歳のときに祖母が亡くなったんです。葬儀の翌朝、棺の前に座って祖母の顔を見たとき……なんと言えばいいか、違和感があって。祖母じゃないみたいに見えたんです。生前あんなに笑顔が素敵な人だったのに、眉の形も、口元も、なんだか知らない人みたいで。その場では泣くことすらできなかった。あの経験が、ずっと胸に引っかかっていたんですよね。美容師として働きながら「髪を整えること」と「人の顔を整えること」が同じ技術を使うのに、なぜ生きている人にしか使えないんだろう、と思い始めて。
Interviewer
それで転身を決意された。でも、周囲の反応はいかがでしたか?
児玉雫花
母には最初、泣かれましたよ(苦笑)。「なんでわざわざそんな仕事を」って。友人にも「怖くないの?」「縁起が悪い」なんて言われて。でも私の中では迷いがなかったんです。それよりも「あの祖母みたいな思いをする遺族を減らしたい」という気持ちのほうが強くて。最終的に父だけが「お前が決めたことならやってみろ」と言ってくれた。その言葉で踏み切れました。
Interviewer
実際に仕事を始めてみて、最初はどうでしたか?
児玉雫花
最初の一年は、正直しんどかったです。技術的なことよりも、精神的なほうが。私が師事した先生は口癖のように「無感動になるな、でも飲み込まれるな」と言っていました。でも初めの頃は、どうしても飲み込まれてしまう。小さな子どもの納棺をするときなんか、帰り道に車の中で崩れ落ちるように泣いたこともありました。その感情がいけないわけじゃない。でも仕事の最中は、遺族の方の支えにならなければいけないから。感情の切り替えの仕方を体で覚えるのに、何年もかかりましたね。
Interviewer
22年のキャリアの中で、特に印象に残っている経験を教えていただけますか?
児玉雫花
一つだけ選ぶのはとても難しいのですが……忘れられないのは、10年ほど前にご依頼いただいた80代の男性のことです。長年の漁師で、顔に深い皺が刻まれた方でした。奥さまが私の手を握って「この人ね、自分の顔が嫌いで写真が一枚もないんです。でも私はこの顔が好きで」とおっしゃって。その皺の一本一本に、この方の人生があるんだと思ったら、いつも以上に丁寧に、丁寧に触れたくて。お化粧はほんの少しだけ。その方の素の顔が一番美しいと思ったから。棺のふたを閉じる前に奥さまが「あら、この人よりずっといい顔してる」って笑ってくれて。その笑顔が、今も忘れられないです。
Interviewer
「復元納棺」という技術に力を入れていると聞きました。これはどういったものですか?
児玉雫花
事故や病気で、お体や顔に傷や変形が残ってしまった場合に、できる限り生前に近い状態に整える技術です。医療的な処置も含まれますし、特殊なメイクや詰め物の技術も使います。遺族の方が「この顔を見てお別れしたい」という思いに応えるための技術なんですが……正直、難しいケースもたくさんあります。技術の限界と向き合う瞬間は、今でもあります。でも「少しでも近づけたい」という気持ちだけは、絶対に諦めない。
Interviewer
技術的に最も難しいと感じるのはどんな場面ですか?
児玉雫花
夏場の孤独死のケースや、長期間発見されなかった場合は、技術的にも精神的にも本当に過酷です。でも、そういうときこそ私の仕事の意味があると思っています。誰にも看取られずに逝ってしまった方でも、私が最後に手をかける。その一事が、その方の尊厳を守ることにつながると信じているから。どんな状態であっても、私は必ず「はじめまして」と心の中で声をかけるんです。それは22年間、変えていません。
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Interviewer
「はじめまして」と声をかける——それはいつ頃から始めたのですか?
児玉雫花
師匠に教わったんです。「亡くなった方にとって、あなたは初めて会う人間だ。礼儀を忘れるな」って。最初は形式的にやっていたんですが、ある日、本当に不思議な感覚があって。ある老婦人の納棺をしていたとき、なんとなく「几帳面な方だったんだろうな」という印象を受けたんです。後で遺族の方に聞いたら「母は何事も丁寧で、洋裁が得意でした」と言われて。言葉はなくても、人は体や表情で、その人生を語っているんだなと。それから「はじめまして」が、形ではなく心になりました。
Interviewer
この仕事をしていると、「死」についての考え方も変わりますか?
児玉雫花
変わりましたね。昔は「死」って恐ろしいものだと思っていたけれど、今は……終わりというより、区切りだと感じています。その人の人生が完結する瞬間。そしてその後も、残された人の記憶の中で生き続ける。私が整えた表情が、その記憶の入り口になる。遺族の方が10年後、20年後に故人の顔を思い出すとき、私が作ったその顔が浮かぶかもしれない。だから怖くなんかない。むしろ、その責任が誇りです。
Interviewer
一方で、この仕事ならではの辛さや葛藤は今もありますか?
児玉雫花
あります。慣れることは、できないんです。それが辛いとも言えるし、必要なことだとも思っています。完全に慣れてしまったら、丁寧さが失われると思うから。ただ……自分と近い年齢の方、子どもを持つ親御さんが亡くなったとき、今でも胸が痛みます。帰宅して自分の子どもを抱きしめたくなる。それを繰り返しながら、私自身も「生きること」の意味を問い続けているような気がします。
Interviewer
この仕事をしていてよかった、と感じる瞬間はどんなときですか?
児玉雫花
遺族の方が、棺の前で笑えた瞬間です。泣くのではなく、笑える。「ああ、お父さんらしい顔してる」「お母さん、きれいだ」って。その笑顔を見るたびに、この仕事をしてよかったと思います。あとは……数年後に、かつての依頼者の方が訪ねてきてくれることがあるんですよ。「あの日、白川さんが整えてくれた顔のおかげで、ちゃんとお別れができました」って。その言葉は、何年経っても宝物です。
Interviewer
後進の育成にも力を入れているとのことですが、若い納棺師に一番伝えたいことは何ですか?
児玉雫花
「技術は追いつける。でも心は自分で磨くしかない」ということです。手の動かし方、メイクの技術、体の清め方——これは時間をかければ誰でも上達する。でも、目の前の方の人生に敬意を持つこと、遺族の悲しみに本当に寄り添うこと、これは技術書には載っていない。だから若い人には「たくさん会いに行きなさい」と言っています。ご遺族と話し、生前の写真を見せてもらい、その方の人生を少しでも知ってから触れなさい、と。
Interviewer
最後に、白川さんにとってこの仕事とは何ですか?
児玉雫花
……「出会いの仕事」だと思っています。亡くなった方との出会い、ご遺族との出会い、そして「死」を通じて深まる「生」との出会い。私は毎日、普通の人よりずっと多く「命の終わり」を見てきた。でもそれは同時に、普通の人よりずっと多く「命の重さ」を教えてもらってきたということ。この仕事が私を育ててくれた。だから私は、最後の一人まで、丁寧に、誠実に、向き合い続けたいと思っています。
インタビューの終わり、白川さんは「今日は仕事があるので」と穏やかに席を立った。どこかの家で、誰かが最期の旅立ちを迎えようとしている。彼女が向かうその場所で、また一つの「はじめまして」が静かに始まる。死と向き合い続けることで、誰よりも深く生を知る——児玉雫花の仕事は、今日も続いている。
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