深夜の静寂に、命を預かる者がいる
夜行バス運行管理者・桑原誠一が語る「見えない安全」の哲学

桑原誠一54歳
夜行バス運行管理者(統括運行管理者) / 株式会社ミッドナイトエクスプレス関東
埼玉県さいたま市・キャリア28年
元長距離トラック運転手という異色の経歴を持ち、32歳で夜行バス運行管理者に転身。現在はさいたま市の営業所で18台・32名のドライバーを束ねる統括運行管理者として活躍。2012年に発生した深夜の重大インシデントを乗り越え、業界の安全基準改革にも携わった経験を持つ。
「「異常なし」は努力の結果であって、偶然ではない」
Interviewer
桑原さん、今日は深夜の現場にお邪魔しています。運行管理者というお仕事、一般の方にはなかなか馴染みがないかと思いますが、まずどんなことをされているのか教えていただけますか?
桑原誠一
ひと言で言うと、「バスが出発する前後のすべて」ですね。ドライバーの健康状態の確認、アルコールチェック、天候や道路状況の把握、運行スケジュールの最終確認。それだけじゃなくて、出発してからも無線やGPSで各車の位置や状況を管理し続ける。トラブルがあれば即座に対応する。夜行バスの場合、乗客が眠っている間も私たちは起きて監視しています。お客さまが気づかないところで、何十もの判断をしているんです。
Interviewer
もともとはトラック運転手だったと伺いました。どういう経緯で運行管理の世界に入ったのですか?
桑原誠一
20代の頃は長距離トラックを10年近く運転していました。仕事は嫌いじゃなかったんですが、ある日、同僚が居眠り運転で事故を起こしてしまって。幸い死者は出なかったけれど、重傷者が出た。そのとき、私は「なぜ誰も止められなかったのか」という疑問が頭から離れなくて。彼は前日からずっと疲れた顔をしていたんです。気づいていたのに、誰も声をかけなかった。「管理する側に回ったら、そういう事故を防げるんじゃないか」と思ったのが始まりです。32歳で運行管理者の資格を取って、転職しました。
Interviewer
最初はどんな印象でしたか?現場に入ってみて。
桑原誠一
正直、なめてました(笑)。運転経験があるから、管理なんて楽勝だろうと。でも全然違った。運転しているときは自分のことだけ考えればいい。管理はそうじゃない。同時に複数の車両、複数のドライバー、気象、渋滞、乗客のクレーム、すべてを並行して処理しなきゃいけない。最初の半年は毎晩、頭が沸騰しそうになりながら帰っていましたよ。当時の先輩に「お前、向いてないかもな」って言われて、悔しくて泣きながら資料を読み直したこともあります。
Interviewer
その後、どうやって一人前になっていったのでしょう?
桑原誠一
先輩の仕事のやり方を徹底的に観察しました。彼はドライバーが出発前の点呼に来たとき、必ず目を見るんです。アルコールチェッカーの数字だけじゃなく、目の充血具合、声のトーン、歩き方。「機械が正常でも、人間が異常なこともある」って言葉が刺さりました。それから私も、数字だけじゃなく「人」を見るようにした。ドライバーと雑談をするようにして、いつもと違う様子に気づけるようになる。そういう積み重ねで、だんだん「読める」ようになっていきました。
Interviewer
キャリアの中で最大の転機になった出来事があると伺いました。2012年のインシデントについて、聞かせていただけますか?
桑原誠一
……あれは今でも夢に見ます。1月の深夜、大阪行きの便が関ヶ原付近で雪により速度低下しているとGPSに出た。私はドライバーに無線を入れて、「チェーン装着を確認して徐行してください」と指示した。彼は「問題ありません」と答えた。でも何か引っかかって、もう一度確認しようとした矢先に、バスがスリップして路肩に乗り上げた。乗客38名、全員無事でしたが、何人かが軽傷を負った。
Interviewer
それは……。そのとき桑原さんはどのような状況だったのですか?
桑原誠一
私の判断が一歩遅かった、というのが正直なところです。「問題ありません」という言葉を信じすぎた。あのドライバーは経験豊富で、私も信頼していた。でも彼はプライドが高くて、弱音を吐けない人だった。それを私は知っていたのに、踏み込まなかった。事故のあと、被害に遭ったお客さまに謝罪に行きました。ご高齢の女性が「怖かった」と震えながら言ったとき、自分の甘さが本当に申し訳なくて、頭が上がらなかった。
Interviewer
その経験があなたを変えましたか?
桑原誠一
根本から変わりました。それまでは「信頼」と「確認」を混同していたんです。信頼しているから確認しなくていい、と思っていた。でも逆なんです。信頼しているからこそ、必ず確認する。信頼は確認によって守られる。事故のあと、うちの会社で「二重確認プロトコル」というものを提案して、導入してもらいました。ドライバーが「問題ない」と言っても、管理者が独自に気象データと現地情報を照合して再判断する仕組みです。のちにそれが業界団体の安全指針のベースになったと聞いたときは、少し救われた気がしました。
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Interviewer
ドライバーとの関係づくりも、運行管理者にとって重要な仕事ですよね。どんなことを心がけていますか?
桑原誠一
「管理される側の気持ち」を忘れないようにしています。私もかつてドライバーだったので、点呼のときに細かいことを何度も聞かれると、正直うっとうしかったんです(笑)。だから私は、確認は徹底するけれど、話し方は工夫する。「体調はどうですか?」じゃなくて「昨日よく眠れましたか?」って聞く。具体的な質問のほうが本音が出やすい。あとは、ちゃんと感謝を伝える。「今日も無事に戻ってきてくれてありがとう」って。これを言い続けたら、ドライバーたちが出発前に自分から体調不良を申告してくれるようになった。その変化がうれしかったですね。
Interviewer
夜行バスという特殊な環境ならではの難しさはありますか?
桑原誠一
深夜という時間帯そのものが敵です。人間の体は夜中の2時から4時に最も眠気が強くなる。ドライバーも、私たち管理者も。でもちょうどその時間帯が、長距離路線の山岳区間や高速の追い越し車線を走っている頃だったりする。管理者が居眠りして確認を怠ることが最悪の事態につながる。だから私は管理室の椅子を、あえてちょっと不快なものにしています。座り心地がよすぎると眠くなるから(笑)。それと、深夜2時になると必ずコーヒーを入れて、全員で声を出す習慣をつけた。「折り返し地点」って声かけするだけでも、眠気がリセットされる。
Interviewer
反対に、この仕事でしか味わえない喜びはどんなことですか?
桑原誠一
全便が無事に折り返してきたとき、モニターの点が全部営業所に戻ってくる瞬間です。あの瞬間だけは、心から「よかった」と思える。言葉にならないんですが、あの安堵感は何物にも替えがたい。あとは、ドライバーから後日談を聞くとき。「昨日のお客さんが、僕の運転のおかげで故郷のお父さんの最期に間に合ったって言ってくれました」とか。夜行バスって、急いでいる人、帰省する人、人生の節目の人が乗ってくることが多い。私たちはその人たちの大切な時間を運んでいるんだって、改めて気づかされる。
Interviewer
お仕事柄、ご家族との時間はなかなか取りにくいのでは?
桑原誠一
妻には本当に迷惑をかけてきました。子どもが生まれたばかりの頃も夜中に出勤して、運動会も何度か欠席した。「この仕事が好きなのはわかってる。でも家族も見てほしい」と言われて、一度だけ辞めようかと思ったことがある。でも妻が最後に「あなたがいなかったら事故が起きたかもしれない夜があったでしょう。それを誇りに思っていい」と言ってくれた。その言葉で、続けることができました。今は子どもたちも社会人になって、娘が「お父さんの仕事、かっこいいね」と言ってくれた。それだけで、全部報われた気がします。
Interviewer
業界全体の課題として、どんなことを感じていますか?
桑原誠一
運行管理者の地位と待遇が、まだ低すぎると思っています。ドライバーよりも給料が低い会社も珍しくない。でも責任はドライバーと同等かそれ以上にある。管理者が疲弊すると、確認が甘くなる。それが事故につながる。管理者を大切にすることが、安全につながるんです。それと、若い人が入ってこない。夜勤で地味で、表に出ない仕事だから。でも私はこれほどやりがいのある仕事を他に知らない。もっと多くの人に知ってほしいと思って、地元の専門学校で年に何度か講義もしています。
Interviewer
最後に、桑原さんにとって「プロフェッショナル」とはどういう人だと思いますか?
桑原誠一
「異常なし」を当たり前だと思わない人、ですかね。毎晩バスが無事に走ることは、決して当然じゃない。天候が変わるかもしれない、ドライバーが体調を崩すかもしれない、道路が凍結するかもしれない。そのすべてを想定して、先手を打ち続ける。「何も起きなかった」というのは、努力の結果なんです。誰にも気づかれない努力が、誰かの安全を守っている。それをひとりで信じ続けられる人が、プロだと思います。私もまだまだそこに向かっている途中です。
深夜12時を過ぎ、インタビューを終えた桑原は静かにモニターへ目を戻した。画面上の光点ひとつひとつが、今この瞬間も高速道路を走るバスを示している。乗客は眠っているだろう。それでいい、と彼は言う。「お客さまが安心して眠れる夜を作ることが、私の仕事です」。日本の夜に、静かに灯り続ける管理室がある。その窓の向こうに、命を預かることの重さを知る男がいる。
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2012年のインシデントについて、あなたが感じたことは?
あなたが夜行バスに乗るとき、運行管理者の存在を意識しますか?