白いページの向こう側へ――子どもたちの「なぜ」を描き続ける絵本作家
30年間、一枚の絵に命を宿してきた女性が語る、想像力という名の贈り物

朝倉 灯子58歳
絵本作家 / アトリエ・ほたる(個人工房)
長野県松本市・キャリア30年
長野県松本市生まれ。美術大学卒業後、グラフィックデザイン会社に勤務するも、娘の誕生をきっかけに絵本制作に転向。デビュー作『くものこ、そらをわたる』が第18回新人絵本大賞を受賞し、以後30年で48冊の絵本を発表。国内外で累計260万部を超え、特に代表作『おつきさまのてぶくろ』はフランス語・韓国語・スウェーデン語にも翻訳されている。松本市の山裾に構えるアトリエで、今日も次の物語を紡いでいる。
「「子どもは嘘をつかない。だから、絵も嘘をついてはいけない。」」
Interviewer
今日は早朝からお仕事だったと伺いました。今、どんな作品を描いていらっしゃるんですか?
朝倉 灯子
タイトルはまだ秘密なんですが……小さな女の子が「死」について問い続ける話です。おじいちゃんが亡くなって、その子が「どこへ行ったの?」と聞く。誰も正直に答えてくれないから、自分で探しに行く。子どもって、大人が「難しい」と思っていることを、ものすごく真剣に、ものすごく純粋に考えるんですよ。その真剣さを絵で裏切りたくない。だから毎朝五時に起きるんです(笑)。
Interviewer
「死」というのは、絵本のテーマとしてはかなり重いですね。読者——つまり子どもたちや親御さんへの反応は気になりませんか?
朝倉 灯子
気になります。でも、恐れてはいません。昔はそこを混同していたんですけどね。気になることと、恐れることは違う。子どもに寄り添うというのは、子どもが見ている景色に一緒に立つことだと思っていて。子どもはね、「死」をファンタジーで包んであげなくていい存在なんです。むしろそのままの言葉で、絵で、向き合ってあげたほうがずっと誠実だと、今は確信しています。
Interviewer
もともとはグラフィックデザイナーとして働いていたと聞きました。絵本の世界に踏み込んだきっかけは何だったのでしょう?
朝倉 灯子
娘の誕生です。当時、私は東京の小さなデザイン会社で広告の仕事をしていました。毎日締め切りに追われて、お酒を飲んで、また翌朝出勤して……そういう生活でした。娘が生まれて初めて絵本を買いに行ったとき、棚の前でぼーっと立ち止まってしまって。「あ、これを描いている人間がいるんだ」って当たり前のことに気がついて、それが雷に打たれたみたいで。恥ずかしいですね、三十歳近くにもなって(笑)。
Interviewer
でも、実際に会社を辞めて絵本作家を目指すというのは、大変な決断だったのでは?
朝倉 灯子
夫には三ヶ月間、毎晩話し続けました。「絵本を描く」と言ったとき、最初は笑われましたよ。笑われながらも、夫は「やってみたら」って言ってくれた。でも問題はお金で、娘は乳飲み子だし、夫の給料だけでは東京では到底やっていけない。だから松本に引っ越した。私の母が松本出身でして、実家の近くに安いアパートを借りて。ここの家賃の安さに、文字通り命を救われました(笑)。
Interviewer
そこからデビューまでの道のりを聞かせてください。
朝倉 灯子
二年半、毎日描きました。娘を昼寝させて描いて、泣いたら抱っこして、また描いて。出版社に持ち込んでは断られて。数えたことがないようで、実は正確に覚えていて——二十三回、断られました。「絵はきれいだけどストーリーが弱い」「絵もストーリーも良いけど売れない」「子どもに伝わらない」……色々言われましたよ。でも一番こたえたのは、ある編集者に「あなたの絵は、どこかで見たことがある気がする」と言われたことです。
Interviewer
「どこかで見たことがある」——それはどういう意味だったのでしょう?
朝倉 灯子
つまり、「あなたの絵にあなたがいない」ということだったんだと思います。当時の私は、「うまく描こう」としていた。「絵本らしく描こう」としていた。好きな絵本の模倣をしていた。その編集者は名前も名乗らずに、原稿を返して行ってしまったんですが、その言葉がずっと頭に残って。ある夜、娘が高熱を出して、私は一晩中そばについていた。朝方、熱が下がって娘が眠った顔を見ていたら、急に泣けてきて。で、その涙が乾かないまま描いた絵が、デビュー作の最初のページになりました。
Interviewer
それが『くものこ、そらをわたる』ですね。蜘蛛の子が風に乗って旅をするあの作品——受賞したときの気持ちはどうでしたか?
朝倉 灯子
電話が来たとき、娘と二人で昼ごはんを食べていました。娘は三歳でした。受話器を置いて、娘の顔を見て、声も出なくて、ただハグしました。娘はきょとんとして「ママ、おなかいたいの?」って(笑)。あの子はあの瞬間のこと、今でも覚えていないんですよ。でも私には、人生でいちばん長い三秒間でした。
Interviewer
30年間で48冊。数字だけ見ると量産しているようにも見えますが、一冊にかける時間はどのくらいですか?
朝倉 灯子
早くて一年、長いと三年です。平均すると一年半くらいかな。文章は実は早くて、一週間で書き上げることもある。でも絵が、本当に時間がかかる。私はね、一枚の絵に「その場の空気の温度」を入れたいんです。抽象的に聞こえるかもしれないけど、読んでいる子どもが「この絵のなかに入れる」と感じてほしい。そのために何度も描き直す。最高記録は、見開き一ページを六十三回描き直しました。
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Interviewer
六十三回……! どの作品のどのページですか?
朝倉 灯子
『おつきさまのてぶくろ』の、お月様が子どもに手袋を手渡す場面です。あの本は私にとって、作品というより「謝罪の手紙」みたいなものなんです。娘が中学生のとき、私は本当に仕事に没頭してしまって、大事なものを見落としていた。娘が学校で色々とつらい思いをしていたのに、気づいてやれなかった。気づいたとき、娘に何を言えばいいかわからなかった。言葉の代わりに、あの絵本を描いた。だから、あの手渡しの場面だけは、どうしても完璧にしたかった。
Interviewer
娘さんは今、その作品についてどう思っていらっしゃるんでしょう?
朝倉 灯子
娘は今、小学校の教師をしています。去年ね、娘の担任するクラスで『おつきさまのてぶくろ』を読んでくれたと連絡が来て。「子どもたちが泣いてた」って。それを聞いて、私も泣いて、娘も電話の向こうで泣いて(笑)。遠回りしましたけど、あの子に伝わったんだと思います。絵本って、そういうことができるんです。言葉より、声より、たまに遠くまで届く。
Interviewer
海外でも翻訳出版されていますが、文化の違いを超えて伝わるということへの驚きはありますか?
朝倉 灯子
フランスのリヨンで読み聞かせイベントをしたとき、終わった後に七歳くらいの男の子が来て、絵本の一ページを指差しながら何かを一生懸命言うんです。通訳さんが「『ここにいる木、うちの庭の木に似てる』って言っています」と教えてくれて。その子は言語も文化も全然違うのに、絵のなかの木に自分の庭を見た。そのとき思ったんです、子どもの「見る力」は国境なんか軽々と越えるって。私が翻訳されているんじゃなくて、子どもたちが翻訳してくれているんですね。
Interviewer
スランプや、「もう描けない」と感じた時期はありましたか?
朝倉 灯子
五十歳のとき、ありました。母が倒れて、介護が始まって、その年は一枚も絵が描けなかった。筆を持っても何も出てこない。空白のページを前に、毎朝一時間座って、また立ち上がって。編集者には「少し休みましょう」と言われましたが、それがまたつらくて。「休んでいいよ」という言葉が、「あなたはもう終わったかもしれない」に聞こえてしまう。プロとして恥ずかしい話ですけど、正直に言うとそうでした。
Interviewer
その空白から、どうやって戻ってきたのでしょう?
朝倉 灯子
母の施設に、毎週持っていくようにしていた古い絵本があったんです。母はもう話すことも難しくなっていたんですが、絵本のページをめくると必ず手が動いた。目が動いた。ある日、私が描いた絵本のページを指でなぞりながら、母が「きれい」と言ったんです。かすかな声で。それが半年ぶりに聞いた母のはっきりした言葉でした。翌朝、アトリエに帰って、筆を持ったら描けた。泣きながら描きました。描けるということが、こんなにありがたいことだったのかと、五十歳にして初めて知りました。
Interviewer
これから先、どんな絵本を描いていきたいですか?
朝倉 灯子
正直に言うと、「どんな絵本を描こう」とは考えないようにしているんです。それよりも「どんな人間でありたいか」を考える。ちゃんと空を見ているか、ちゃんと人の顔を見ているか、ちゃんと怖いと思っているか。絵本はその結果として出てくるものだと思っていて。計画して描いた絵本より、驚いて描いた絵本のほうが、子どもたちに届くんです、なぜか。だから今は、五十八歳のおばさんが、まだ世界に驚けるように、毎日ちゃんと外を歩こうと思っています(笑)。
Interviewer
最後に、これから絵本作家を目指す若い方々へ、何かメッセージをいただけますか?
朝倉 灯子
うまく描こうとしないでほしい、というのが一番です。「絵本らしく」描こうとしないでほしい。あなたが子どもだったころに「わからなかったこと」を思い出してください。「なんで夜は暗いの」「なんでおじいちゃんはいなくなったの」「なんで友達は意地悪なの」。その「わからなかった」を、大人になった今の自分が、絵と言葉で一緒に考える。それが絵本だと私は思っています。答えを教えるんじゃなくて、一緒に迷ってあげる。それだけでいい。それだけでも、子どもの人生を少し明るくできる。こんなに誠実な仕事は、ほかにないと思いますよ。
インタビューを終えて工房を辞するとき、朝倉さんはまたすぐに机に向かった。北アルプスから吹き下ろす風が窓を揺らし、白い画用紙の端が静かにめくれた。三十年で四十八冊。でもその数字の向こうに、本当の数字がある——あの本を読んで眠れた夜の数、親子で笑った声の数、子どもが初めて「死」について誰かと話せた夜の数。朝倉灯子という絵本作家は、今日も白いページに向かって、子どもたちの「なぜ」と一緒に迷い続けている。
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