氷の果てで、人は本物になる
南極・北極を渡り歩く極地探検ガイドが語る、生死の境で学んだ「科学と魂」の話

宗像 冬樹47歳
極地探検ガイド / 極地環境科学コンサルタント / 株式会社ポーラーウェイ・エクスペディションズ
北海道・稚内市・キャリア22年
北海道・稚内出身。東京海洋大学大学院で極地海洋学を専攻後、ノルウェーの探検会社に研究員として赴任。現在は自身の会社を経営しながら年間150日以上を南極・北極圏で過ごし、科学調査団や民間探検隊のガイドを務める。国際極地ガイド協会(IPGA)の理事も兼任。
「「氷は嘘をつかない」」
Interviewer
宗像さん、今年も南極から戻られたばかりだと聞きました。どれくらいの期間、行かれていたんですか?
宗像 冬樹
今回は78日間です。南極半島の付け根あたり、ラーセンC棚氷の縁を国際科学調査チームと歩いていました。氷河の後退速度を測るためのデータ収集が主目的でしたが、途中でブリザードに3日間閉じ込められてね。テントの中で研究者たちと缶詰になりながら、彼らが持参した論文を回し読みしていました(笑)。あそこまで行くと、時間の使い方が変わるんですよ。
Interviewer
「極地探検ガイド」という職業は、日本ではまだ馴染みが薄いと思います。具体的にどんな仕事をされているのか、教えていただけますか?
宗像 冬樹
一言で言うと、「人を無事に氷の世界へ連れて行き、無事に帰す」ことです。でも実際には、気象予測、ルート選定、クレバス探知、野生動物への対応、救急医療、チームのメンタルケアまで全部やる。科学者と一緒に行く時は、私自身も観測の補助をします。測定機器の設置から試料採取まで。私は元々研究者ですから、その部分は得意なんですよ。ただ、どんなに科学的に価値ある場所でも、そこへたどり着く「道」がなければ意味がない。私はその道を作る人間です。
Interviewer
もともとは研究者志望だったんですね。なぜガイドへと転身したのでしょう?
宗像 冬樹
大学院で極地海洋学を研究していて、ノルウェーのトロムソにある研究機関に就職したんです。北極圏の海水温と海氷面積の相関を研究する仕事でした。でも、毎年の現地調査でノルウェー人のガイドたちと行動を共にしていくうちに、気づいてしまったんです。「自分は研究室より、こっちのほうが圧倒的に生き生きしている」って。恥ずかしい話ですけど、論文を書いている時より、吹雪の中でルートを探している時のほうが、頭が澄み渡る感覚があった。
Interviewer
それは大きな決断でしたね。周囲の反応はどうでしたか?
宗像 冬樹
指導教官には「もったいない」と言われました。両親には「何を考えているんだ」と(笑)。稚内の漁師の家に生まれて、苦労して東京の大学院まで行かせてくれたのに、南極でガイドをやると言い出したんですから。でも父親は最後に一言だけ言ってくれたんです。「お前は子供の頃から、海と空ばかり見ていたな」と。それだけで十分でした。
Interviewer
キャリアの中で、最も記憶に残っている経験は何でしょうか?
宗像 冬樹
2014年の北極遠征です。あれは今でも夢に見ることがある。スヴァールバル諸島の北端から、シロクマの生態調査チームを率いていました。6人のチームで、5日目に一人のメンバーが低体温症の初期症状を示した。気温はマイナス38度、風速15メートル。最寄りのキャンプまで18キロ。私は即座に引き返すことを決断しましたが、チームの研究リーダーが猛反対した。「あと2日で目標地点に着く、ここまで来てなぜ引き返すんだ」と。でも、私にはわかっていた。その人の顔色が、もう「限界手前」じゃなくて「限界の中」にいる色をしていた。
Interviewer
その時、どうされたんですか?
宗像 冬樹
リーダーに言いました。「あなたは今日の目標とこの人の命、どちらを選びますか?」と。静かに、でもはっきりと。探検中、ガイドには絶対的な安全決定権がある。それは契約上も明記されているし、国際的なガイドの倫理規定でもそうなっている。でも私が大事にしているのは、その権限を振りかざすことじゃなくて、チーム全員が「これしかない」と納得する状況を作ることなんです。その日は全員で引き返し、その方は翌日ヘリで医療施設へ搬送されました。後日、医師から「あと数時間遅れていたら心臓に影響が出ていた」と聞いた時、正直、膝が震えました。怖かったというより、安堵で。
Interviewer
極地では科学的な観測が目的のことも多いと思います。ガイドとして「科学」とどう向き合っていますか?
宗像 冬樹
私にとって、科学は「氷を読む言語」です。氷の色、密度、気泡の分布、亀裂のパターン。それを読むのに、経験だけじゃ足りない。海洋学の知識があるから、例えばこの海氷が何月に形成されたか、塩分濃度はどのくらいか、直感と計算の両方で推測できる。逆に研究者たちからも毎回学ぶ。先日一緒に行った気候科学者が、私が長年「なんとなく不安定だ」と感じていた氷の挙動を、データで見事に説明してくれた時は鳥肌が立ちました。「ああ、自分の体感は間違っていなかった」って。経験と科学が一致した瞬間です。
広告
Interviewer
気候変動は、現場でどのように感じていますか?ニュースで伝えられる数字とは違う、肌感覚の変化があるのでしょうか?
宗像 冬樹
あります。全く違う。22年間、ほぼ同じ場所に同じ季節に行き続けているから、変化が体でわかる。スヴァールバルでは、私がガイドを始めた頃に「必ず渡れる」と言われていた海峡の氷が、もう10年以上、安全に渡れていない。南極でも、私が初めて踏んだ棚氷が、今は地図から消えています。研究者が「有意差」という言葉で語るデータを、私は毎年足で確認している。その重さは、論文の数字とは全然違う。これは怒りではなく、静かな危機感です。だから私は今、ガイド業と並行して教育プログラムも作っています。次世代の研究者やガイドが、変化の記録者になれるように。
Interviewer
ガイドとして最も難しいのは、技術的なことですか?それとも人間的なことですか?
宗像 冬樹
断然、人間です。極地の環境は厳しいけれど、ルールがある。物理法則は裏切らない。でも人間は裏切る。悪い意味じゃなくてね。極限の環境に長期間置かれると、人は本当の姿になる。普段は温厚な人が攻撃的になったり、リーダーシップを発揮してくれる人が突然心を閉ざしたり。チームが機能しなくなると、どんなに天気が良くても遠征は死にます。だから私は最初の3日間、技術的なことよりもチームの人間観察に全力を注ぐ。誰が誰に対して遠慮しているか、誰が不安を笑いで隠しているか、誰がリーダーに依存しすぎているか。そこから全部の計画を組み立てなおすこともあります。
Interviewer
逆に、この仕事でしか得られない「喜び」があるとすれば、それは何でしょうか?
宗像 冬樹
人が変わる瞬間を見られることです。都市で暮らすエリートの研究者や企業家が、南極に入って4日目くらいから、別人になっていく。肩の力が抜けて、目の色が変わる。「役職」や「実績」が全部剥げ落ちて、ただの「人間」になる。ある時、大企業の役員の方が一緒に来ていて、吹雪の中でテントを設営する時にパニックになって泣き出したんです。でもその後、仲間と力を合わせてテントを立てた時の顔が、忘れられない。帰国後に手紙が来て、「あの経験で20年ぶりに自分を取り戻した気がします」と書いてあった。私は科学を教えているつもりが、どうやら別の何かも渡しているみたいです。
Interviewer
「氷は嘘をつかない」というのがあなたのモットーだそうですね。これはどういう意味合いがあるんでしょう?
宗像 冬樹
氷は今の地球の状態を、完全に正直に記録しています。嘘をつく理由がない。何万年前の空気でも、火山の噴火でも、人間が排出したCO2でも、全部閉じ込めて保存している。氷コアを見ると、地球の記憶が読める。そして、その氷が私に対しても嘘をつかない。危ない氷は危ない音を立てる。渡れない氷は渡れない色をしている。私が技術や知識を積み重ねてきたのは、その嘘のない存在と、きちんと対話するためです。人間社会では、どうしても「見た目」や「言葉」で判断してしまうことが多いけれど、極地に来ると、本質しか見えない。それが好きなんです、私は。
Interviewer
今後、目指していることはありますか?
宗像 冬樹
二つあります。一つは、日本初の「極地科学ガイド」の育成制度を作ること。今、日本にはこの職業の公式な資格制度がない。私は22年かけて独学と現場で習得してきたことを、体系化したい。若い人が遠回りしなくていいように。もう一つは、市民科学プロジェクトです。専門家でなくても、適切なガイドがいれば、極地で科学的に意味のあるデータ収集に参加できる。一般の人が極地で採取したデータが、本当の論文に使われる。そういう仕組みを作りたい。科学を「見る」のではなく、「触れる」経験。それが人々の地球への意識を変えると信じています。
Interviewer
最後に、これからこの分野を目指す若い人たちへ、何かメッセージをいただけますか?
宗像 冬樹
「怖いと思うことを選べ」と言いたい。私がガイドになると決めた時、怖かった。でもそれが本物の道だという証拠でもあった。極地に初めて立った時も怖かった。でも足を止めなかった。人間は怖いものを避ける本能があるけれど、本当に大切なことの入り口は、たいてい「怖さ」の向こう側にある。技術は後からついてきます。体力も、知識も、経験も。でも「怖くても行く」という意志だけは、訓練で手に入らない。それを持って、まず外に出てほしい。北海道でも、海外でも、どんな小さな冒険でもいい。一歩踏み出した人間には、必ず次の景色が見える。氷は、来た人にしか見せない顔があるんです。
取材が終わり、宗像は静かに立ち上がると、棚から小さな透明なケースを取り出した。中には直径3センチほどの氷のかけらが入っていた。「これ、3万2千年前の南極の空気が入っている氷コアの端材です。普通に触れますよ」と差し出してくれた。手のひらに乗せると、ひんやりとした重みが伝わってきた。人類の歴史どころか、文明のはるか前から存在するこの結晶が、今まさに、都会育ちの記者の手の上でゆっくりと溶けていく。「すぐ溶けちゃうでしょう。でも消えたわけじゃない。水になって、また別の形で存在し続ける」。宗像冬樹は静かに微笑んだ。氷の果てで鍛えられた人間の、穏やかで揺るぎない横顔だった。
広告
2択で気軽にお答えください(匿名・研究目的で利用します)
あなたが極地遠征に参加するとしたら、どちらを選びますか?
宗像さんの言葉で最も印象に残ったのはどちらですか?
極地で経験してみたいことはどちらですか?