鋼と向き合う、五十年の問答
火と鉄が語りかけるとき、刀鍛冶・村瀬蒼一郎は答えを探し続ける

村瀬 蒼一郎67歳
刀鍛冶(日本刀製作・無鑑査刀匠) / 村瀬刀匠工房
岐阜県関市・キャリア50年
岐阜県関市に生まれ、十七歳で人間国宝・故橘川宗弥に入門。二十年の修業を経て独立し、現在は国内外の美術館・個人コレクターから依頼を受ける無鑑査刀匠。文化庁認定の伝統工芸士でもあり、後進の育成にも力を注いでいる。
「鉄は嘘をつかない。嘘をつくのは、いつも人間の側だ。」
Interviewer
今朝は四時過ぎから火を入れていらっしゃったと聞きました。毎日この時間から?
村瀬 蒼一郎
まあ、そうですね。炉の温度を安定させるのに二時間はかかる。鍛錬を始めたい時間から逆算すると、このくらいになる。若い頃は師匠に怒られてましたよ、「お前は火の準備が遅い」って。今でもその癖が抜けない。もう体に染みついているから、目覚まし時計なんか要らない。暗いうちに目が覚めて、気づいたら工房にいる。
Interviewer
刀鍛冶を志したのは十七歳のとき。同世代の若者が大学や就職を考える年齢です。何がそこまで引き寄せたのでしょう。
村瀬 蒼一郎
引き寄せた、というより、引き戻された、という感じかな。うちの祖父が刀の収集家でして、幼い頃から本物の日本刀を間近で見ていた。祖父が刀を手入れするとき、私を膝に乗せて「この刃紋を見てみろ」って。まだ小学校にも上がってない頃の話です。そのときの光景が、ずっと頭の中にある。真っ暗な部屋で、刀身に光を当てると、刃紋がぼうっと浮かび上がる。あれは——なんと言えばいいのか——生きているように見えた。十七歳のとき、橘川先生の作品を展覧会で見て、あの幼い頃の感覚がよみがえった。もうそれだけです。
Interviewer
師匠の橘川宗弥先生のもとで二十年修業されたわけですが、最初の数年はどんなものでしたか。
村瀬 蒼一郎
最初の三年は、刀を触らせてもらえません。炉の火の世話、鍛錬の後片付け、工房の掃除——そういうことだけ。今の若い人に言うと信じてもらえないかもしれないけど、本当にそうだった。師匠は口数の少ない方で、何かを教えてくれるというより、見て盗め、という世界でした。でも今になって思う。あの三年間で、火の扱い方の基礎が全部入った。炉の音、炎の色の変化、温度の微妙な揺らぎ——言葉でなく、体で覚えた。言葉で教わったことは忘れるが、体で覚えたことは死ぬまで残る。
Interviewer
師匠から直接言葉で教わった記憶で、今でも残っているものはありますか。
村瀬 蒼一郎
一度だけ、十年目くらいに言われた言葉があります。私が鍛えた刀を師匠に見せたとき、「お前はまだ鉄と戦っている」と言われた。その意味が当時はよくわからなかった。鍛冶というのは鉄を叩いて形にするわけだから、戦うのは当たり前じゃないかと思っていた。でも、ずっと後になってわかった。本当にいい刀は、鍛冶が鉄を征服するんじゃなくて、鉄が持っている性質を引き出してやることで生まれる。鉄と話し合うようなものです。その言葉の意味がわかった日、私はようやく一人前になれたかもしれないと思った。
Interviewer
独立されたのは三十七歳。二十年の修業を経てのことですが、独立直後はどんな状況でしたか。
村瀬 蒼一郎
最初の二年は、注文が一本も来なかった(笑)。本当に一本も。当時の関市には腕の立つ刀鍛冶が何人もいて、新参者に仕事が回ってくるわけがない。妻には本当に苦労をかけました。妻は地元の農協に勤めていて、その給料で食べさせてもらっていた。「あなたの刀を信じている」と、一度も文句を言わなかった。それが逆につらかった。文句を言ってくれれば、こちらも感情をぶつけられる。でも妻は静かに待っていた。その重さに耐えながら、ひたすら刀を打ち続けた。
Interviewer
転機となったのが、独立三年目に出品された新作刀剣展での受賞だと伺っています。
村瀬 蒼一郎
ええ。あの年の秋に、全国新作刀剣展に出品した一振りが優秀賞をいただいた。正直、自分でもあの刀は特別だとわかっていた。三日三晩、ほとんど眠らずに打った。今でも覚えているのは、鍛錬の最中に——こんなことを言うと怪しく聞こえるかもしれないけど——鉄が「もういい」と言った気がした瞬間があった。ハンマーを止めたとき、その刀の姿がすでにそこにあった。受賞の報せを聞いたとき、妻が工房に飛んできて、二人で泣きました。言葉は何もなかった。それで十分でした。
Interviewer
受賞後、仕事の依頼が一気に増えたわけですが、あのとき「刀鍛冶」としての何かが変わりましたか。
村瀬 蒼一郎
変わったのは、覚悟かな。それまでは「認められたい」という気持ちがどこかにあった。でも受賞して注目されたとき、急に怖くなった。次に打つ刀が、受賞作を超えられなかったら?という恐怖。その恐怖と今でも戦っています。五十年やってきて、慣れるということがない。むしろ年を取るごとに怖くなっていく。それが正常な状態だと思っています。怖くなくなった日が、この仕事を終わりにする日だ。
Interviewer
村瀬さんの刀は「地鉄の美しさ」で高く評価されています。地鉄へのこだわりを教えてください。
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村瀬 蒼一郎
日本刀の美しさというのは、刃紋だけじゃない。地鉄——刀身の肌——にこそ、鍛冶の魂が出る。私はたたら製鉄で作られた玉鋼にこだわっていて、使う玉鋼の産地や製造の時期まで自分で確認する。玉鋼は生き物みたいなもので、同じ製法でも毎回微妙に性質が違う。だから毎回、初めて会う相手に向き合うような緊張感がある。その玉鋼が持っている個性を読んで、それに合った折り返し鍛錬の回数や火加減を決める。一本一本が完全に違う工程です。だから、私の刀は同じものが二本と存在しない。それが誇りです。
Interviewer
これまで数百本の刀を打ってこられた中で、最も印象に残っている一本を挙げるとしたら?
村瀬 蒼一郎
それは難しい質問だ(しばらく黙って考える)。……四十五歳のとき、ある末期がんの患者さんから依頼を受けた一本があります。その方は刀の愛好家で、「死ぬ前に自分だけの刀を持ちたい」とおっしゃった。お会いしたとき、もう余命三ヶ月と言われていた。私は急いで打ちました。でも急ぐと刀に焦りが出る。何度も失敗した。結局、その方が亡くなる十日前に届けることができた。ご本人は床の上で、その刀を両手で持って、「ありがとう、これで行ける」とおっしゃった。その言葉は、今でも工房の空気の中にある気がする。刀というのは、人の最後の時間に寄り添えるものなんだと、そのとき初めて本当にわかった。
Interviewer
刀は武器でもあります。その点について、長年の仕事の中でどう向き合ってきましたか。
村瀬 蒼一郎
若い頃は、気にしなかった。いや、正確には、考えないようにしていた。でも三十代に差し掛かったとき、師匠に問いかけたことがある。「先生、刀を作ることへの罪悪感みたいなものはありませんか」と。師匠は少し考えてから、「刀は、人が使うもんだ。使い方の責任は人間が持つ。お前は最善の刀を打つことだけを考えろ」と言った。今はその言葉に半分同意して、半分は自分なりに考え直しています。私は美術刀匠として、刀を「見て、感じるもの」として作っている。その刀に込めた精神性——美への真摯さ、技への誠実さ——が、見る人の何かに触れると信じている。それが私の答えです。
Interviewer
現在、弟子が二人いらっしゃると聞きました。教えることの難しさはありますか。
村瀬 蒼一郎
教えることは、本当に難しい。自分がやってきたことを言語化しなければならないから。私は師匠と違って、ある程度は言葉で伝えようとしています。でも、大事なことほど言葉にならない(苦笑)。二人の弟子はそれぞれ個性が違って、一人は器用で飲み込みが早い。もう一人は不器用だけど、鉄への向き合い方に真剣さがある。私は不器用な方の弟子が好きですね。器用な人間は近道を探す。不器用な人間は遠回りしながら、でも確実に深いところへ行く。刀鍛冶に必要なのは器用さじゃなくて、諦めない愚直さだと思っているから。
Interviewer
近年、日本刀への関心が海外でも高まっています。外国からの依頼や問い合わせはいかがですか。
村瀬 蒼一郎
増えましたね。アメリカ、ドイツ、最近は中東からも来る。最初は戸惑いもあったけど、今は日本刀の美しさは国境を超えるものだと確信している。先日、ドイツのコレクターが工房を訪ねてきた。日本語は話せない。私も英語はほとんどできない(笑)。でも彼が刀を手に取ったとき、その顔の変化で全部わかった。「これだ」という顔。そのとき思ったんです。私がこの五十年でやってきたことは、言葉が届かないところへ届くものを作ることだったんじゃないかと。
Interviewer
六十七歳という年齢で、体力的な限界を感じることもあるのでしょうか。
村瀬 蒼一郎
正直に言えば、感じます。鍛錬は体力仕事で、四十代の頃と同じようにはいかない。ハンマーを振る回数も、以前より少ない。だから今は、一打一打の精度を上げることに集中しています。数で補えないなら、質で補う。これは老いることで初めて気づいたことで——若い頃は力任せに打てた分、雑な打ち方をしていた部分があった。今の私の方が、若い頃より丁寧な鍛錬をしていると思っている。体の衰えが、逆に技術を深めてくれた。老いも捨てたもんじゃない。
Interviewer
最後に伺います。村瀬さんにとって、「いい刀」とは何でしょうか。
村瀬 蒼一郎
五十年かけて、今の答えはこうです。見た人の時間を止める刀。それがいい刀だと思っている。美術館で刀を見ているとき、ふと気づくと何分も経っている——あの感覚。日常の時間の流れから切り離されて、その刀だけの時間に入っていく。それを作れたとき、私はこの仕事をやっていてよかったと思う。鉄は嘘をつかないと言いましたが、逆を言えば、誠実に向き合った分だけ、鉄は応えてくれる。それはもしかしたら人間関係と同じかもしれない。私はずっと、鉄と話しながら、人間であることを学んできた気がします。
インタビューを終えて工房を出ると、長良川からの風が冷たく頬を打った。振り返ると、村瀬蒼一郎はすでに炉の前に戻り、静かにハンマーを握っていた。その背中は、五十年前の十七歳の少年が見た師匠の背中と、きっと同じ形をしているのだろう。鉄は嘘をつかない。だからこそ、一人の職人が一生をかけて問い続けるに値する。工房の煙が、冬の空へゆっくりと昇っていった。
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村瀬さんが師匠から言われた言葉、「お前はまだ鉄と戦っている」——あなたはどちらに共感しますか?
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