針と糸で命を守る——闘牛士の衣装に宿る、一針一針の祈り
華やかな「ルース・デ・ルセス」の裏側に、40年の沈黙の戦いがある

黛 悠一郎63歳
闘牛士衣装デザイナー(トラヘ・デ・ルセス職人) / 工房「月光繍」(マドリード・アンダルシア地区)
スペイン・セビリア在住(出身:京都府)・キャリア40年
京都の老舗呉服屋に生まれ、19歳でスペインへ渡った異色の職人。セビリアの伝説的衣装師ロドリゴ・カサブランカに師事し、唯一の東洋人弟子として15年間修行。現在は世界トップクラスの闘牛士たちから指名される工房「月光繍」を主宰する。2019年にはスペイン文化省より「無形文化財継承者」に認定された。
「衣装は鎧ではなく、魂の形だ」
Interviewer
黛さん、工房に入った瞬間から空気が違うと感じました。ここでは毎日どんな一日が始まるのですか?
黛 悠一郎
朝は必ず7時に起きて、窓から光の入り方を確認します。それから針に糸を通す。金糸を扱うのに、一番いい光の時間帯というのがあるんです。セビリアの朝の陽光は、刺繍の仕上がりの美しさを正確に教えてくれる。機械や蛍光灯の下では絶対にわからない微妙な陰影があって、それを確かめながら一日の作業の段取りを決めるんです。これは師匠のロドリゴから叩き込まれた習慣です。40年、一日も欠かしたことがない。
Interviewer
京都のご出身と伺いました。なぜ日本人がスペインで闘牛士の衣装を作ることになったのでしょう?
黛 悠一郎
自分でも、時々笑ってしまいます(笑)。父は京都で呉服の染め物をやっていた。私は子供の頃から針仕事が好きで、着物の刺繍を眺めながら育った。でも19歳のとき、たまたまテレビで闘牛の映像を見たんです。そのとき画面に映った闘牛士の衣装に、完全に心を奪われた。あれは何だ、と。金糸の輝きが、まるで鎧のようでいて、しかし布の柔らかさがある。日本の能衣装に通じるものを感じて、気づいたら片道のチケットを買っていました。母には半年間、黙っていましたよ。
Interviewer
スペインに渡ってから、すぐに師匠のカサブランカさんに出会えたわけではないですよね?
黛 悠一郎
とんでもない。最初の3年間は本当に惨めでした。言葉もろくにわからない。工房の門を叩いても、ほとんどが追い返された。『日本人が何をしに来た』という目で見られました。その頃のセビリアは今より閉鎖的でしたから。小さな市場で縫い物の修繕仕事を細々とやりながら、スペイン語と闘牛の文化を独学で学んだ。それでも諦めなかったのは、衣装への執着というか——あの金糸の謎を解きたいという欲望がずっとあったからです。
Interviewer
師匠との出会いはどんなものだったのですか?
黛 悠一郎
ある日、偶然ロドリゴの工房の前を通りかかったら、扉が開いていて。中から老人が衣装を抱えて出てきた。その衣装の刺繍を見た瞬間、私は思わず『この金糸の撚り方は絹を横断糸に使っている』とスペイン語で口走っていた。老人は立ち止まって、じっと私を見て言いました。『お前は何者だ』と。それがロドリゴでした。彼は京都の西陣織の技術を独自に研究していたんです。東洋の絹の扱いに深い敬意を持っていた人だった。私の出自を聞いて、『神様が送ってきた』と笑った。その翌週から弟子になりました。
Interviewer
修行はどんなものでしたか?日本の職人の世界と似ていましたか?
黛 悠一郎
似ていて、しかし全く違った。日本の修行は『守破離』という段階があって、まず型を完全にコピーすることから始まる。ロドリゴも最初の2年間は、ひたすら先人の刺繍を模写させました。その点は同じ。でも違うのは、ロドリゴはある日突然『お前の刺繍にはお前の顔がない』と言うんです。型を破る許可ではなく、命令として。スペイン人の師匠は『個性を消せ』ではなく、『個性を出せ』と怒鳴る。最初は混乱しました。でもそれが、私がのちに東洋と西洋の技法を融合させる礎になった。
Interviewer
黛さんのキャリアには大きな転機があったと聞いています。30代の頃の出来事ですか?
黛 悠一郎
……そうです。あの一件は、今でも夢に見ることがある。私が独立して4年目、33歳のときでした。当時スペインで最も人気のある若手闘牛士、エドゥアルド・モレンテという男の衣装を初めて手がけたんです。渾身の作でした。金糸の刺繍に西陣の技法を初めて本格的に取り入れた、私の集大成のような一着だった。彼はその衣装を着てマドリードの闘技場に立った。試合の途中で、牛の角が衣装の脇腹部分を引っ掛けた。縫い目が裂けた。衣装が原因で彼の動きが一瞬乱れて——彼は角で太腿を刺されて、2ヶ月入院した。
Interviewer
それは……大変なことでしたね。
黛 悠一郎
衣装師として最も恐れていたことが起きた。私は工房を畳もうと思いました。本気で。縫い目の耐久性への計算が甘かった。美しさを追うあまり、機能性の検証を怠った。エドゥアルドが退院したとき、病院に謝りに行ったんです。そしたら彼は病院のベッドで私を見て、こう言った。『黛、俺はあの衣装をまた着たい。お前以外の衣装は着ない』と。……私は廊下で泣き崩れました。その夜から、私は衣装の構造を一から見直した。刺繍の美しさだけではなく、縫い目の引張強度、動きの範囲、牛の角が当たったときの力学、全部を計算に入れて。あの失敗が、今の私の技術の全ての土台になっています。
Interviewer
「衣装は鎧ではなく、魂の形だ」というお言葉がありますが、その言葉の意味を聞かせてください。
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黛 悠一郎
闘牛士の衣装は見た目が派手だから、よく『盾』や『鎧』に例えられるんです。でも実際は、布と糸でできたものが牛の角から命を守れるわけがない。じゃあなぜあれだけの手間をかけて美しく作るのか。それは、闘牛士が衣装を着た瞬間に別の人間に変わるためです。普通の青年が、あの衣装を纏うことで死と向き合える精神状態に入っていく。私は衣装を通じて、その人の『戦う形』を作っている。彼の恐れ方、勇気の出し方、そういう心の輪郭を布で表現する。だから私は必ず、衣装を作る前に闘牛士と長時間話します。体の採寸だけでなく、心の採寸もする。
Interviewer
心の採寸、とは具体的にどういうことでしょう?
黛 悠一郎
たとえば、ある闘牛士は戦う前に必ず聖母マリアに祈る人だった。だから彼の衣装の左胸の内側に、目に見えない小さな十字の刺繍を一針だけ入れました。彼だけが知っている刺繍です。また、亡くなった父への想いが強い闘牛士には、父の出身地の花をモチーフにした刺繍を裾に忍ばせたこともある。闘技場では誰も気づかない。でも本人だけは知っている。そういう『秘密』を衣装の中に縫い込むことで、闘牛士は衣装を着るたびに自分が守られていると感じる。それが私の仕事の本質だと思っています。
Interviewer
日本の職人技術をスペインの伝統に融合させるとき、文化的な摩擦はありませんでしたか?
黛 悠一郎
あります、今でも。闘牛の世界は非常に伝統と保守に縛られた世界ですから。私が京都の金糸撚りの技法を取り入れ始めた頃、『日本人が伝統を壊す』と批判する声もあった。でもロドリゴが言っていたことがある。『本物の伝統は、いつも異邦人が更新してきた』と。トラヘ・デ・ルセスの刺繍技法も、歴史を遡れば様々な文化の影響を受けている。私がやっていることは破壊ではなく、継承の一部だと信じています。ただ、私は決して日本の美意識を押しつけない。あくまでスペインの様式を主軸に置いて、技術的な補強として東洋の技法を使う。その順番を間違えたことはない。
Interviewer
これまでに最も印象に残っている衣装、あるいは依頼者はいますか?
黛 悠一郎
一つだけ選べと言われたら——10年前に作った、引退試合のための衣装です。25年間第一線で闘い続けた老闘牛士、ルイス・アルバレスという男のための最後の一着。彼は「生涯最後に着る衣装を黛に頼みたい」と言って来てくれた。私は半年かけて作りました。通常は刺繍に2〜3ヶ月かけますが、あの衣装には6ヶ月かけた。金糸だけで3キロ以上使った。彼の25年間の試合で受けた角傷の位置を全部聞いて、その傷のある場所に対応する衣装の裏側に、それぞれ小さな桜の花の刺繍を一輪ずつ入れました。彼が知らない秘密として。引退試合の後、衣装を返しにきた彼が『この衣装はやけに重かった。まるで俺の人生全部が入っているみたいだった』と言った。私は黙ってうなずきました。
Interviewer
日本とスペイン、二つの国の間で生きてきた40年。ご自身のアイデンティティについてはどう感じていますか?
黛 悠一郎
正直に言えば、長い間『どこにも属していない』という感覚が苦しかった。日本に帰れば『スペインの人』、スペインにいれば永遠に『日本人』。でも50歳を過ぎた頃から、それが財産だと思えるようになった。どちらの文化も、私の中では本物です。日本の『間』の概念——空白に意味を込めるという感覚と、スペインの『ドゥエンデ』——魂の震えのような情熱、この二つが私の針の中に同居している。今は、自分が橋だと思っています。二つの岸の間に架かった、布と糸でできた橋。
Interviewer
後継者の育成についてはどうお考えですか?
黛 悠一郎
今、弟子が二人います。一人はセビリア出身のスペイン人の若者、もう一人は意外にも日本から来た23歳の女性です。彼女は京都の美大を出て、着物の刺繍をやっていた。私と似た道を逆から歩いてきた子です(笑)。私が弟子に最初に言うのは、『ここでは美しいものを作る前に、丈夫なものを作れ』ということ。あのエドゥアルドの一件を私は毎年弟子たちに話す。美と機能は対立しない、美が機能を完成させる境地があると信じているけれど、そこに至るには機能への敬意が先に来なければならない。ルックスは最後の仕上げで、最初ではない。
Interviewer
最後に、この仕事を通じて学んだ、人生で最も大切なことを教えてください。
黛 悠一郎
……一針に、全部を込めるということです。私が一日に縫える針数は、今は若い頃より少ない。手が少し震えるようになってきた。でもその一針の重さは、若い頃とは比べ物にならない。闘牛士は闘技場で何百回も角をかわすけれど、衣装が彼の命に寄り添える瞬間は一瞬です。私の針も同じで、一針一針が誰かの命の近くにある。その緊張感を40年忘れたことがない。人間は何をやっていても、結局は『今この一瞬に何を込めるか』だと思う。衣装でも、言葉でも、人への接し方でも。私の針はその問いへの、私なりの答えです。
インタビューが終わった後も、黛は椅子に座ったまま仕事に戻った。虫眼鏡越しに金糸を追う横顔には、緊張でも余裕でもない、ある種の静けさがあった。工房の窓から午後の陽が差し込み、壁に掛かった衣装たちが一斉に光を返した。「光の衣装」とはよく言ったものだ——しかしその光は闘牛士のためだけでなく、針を持つ男の40年の問いに答え続ける、沈黙の炎でもあるのだと気づいたとき、この工房の扉がなぜ表札のない木の扉であるかが、ようやくわかった気がした。
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黛さんの仕事の哲学で最も印象に残ったのはどちらですか?
あなたが黛さんの立場だったら、エドゥアルドの事故の後どうしますか?
黛さんの「二つの文化の橋」という生き方をどう思いますか?