木は嘘をつかない――樹齢八百年の巨木が教えてくれたこと
傷ついた木を癒し、人と自然をつなぐ「緑の外科医」の静かな闘い

梶原 千紗54歳
樹木医 / 一般社団法人 森と暮らし研究所
島根県出雲市・キャリア28年
岡山県津山市出身。幼少期から山中で育ち、大学で林学を専攻後、造園会社に就職。30代で樹木医資格を取得し、独立後は島根県を拠点に神社仏閣や公園の巨木・古木の治療、保全計画の立案を手がける。近年は小学校での樹木教育プログラムも精力的に展開している。
「木の声を聞けるようになるまで、まず自分を黙らせる」
Interviewer
樹木医という仕事を知らない方も多いと思います。まず、どんなことをする仕事なのか教えていただけますか。
梶原 千紗
簡単に言うと、木のお医者さんです。でも、人間のお医者さんと大きく違うのは、患者さんが「ここが痛い」と言葉で教えてくれないことです。木が発するサインを読み解いて、原因を探り、治療法を考える。葉の色、枝の伸び方、樹皮の質感、根元の土の状態……そういったものを総合して診断します。腐朽菌に侵された幹の空洞を除去したり、弱った根を補強したり、場合によっては大枝の解体剪定をしたり。仕事の内容は多岐にわたります。神社やお寺の御神木のような巨木から、道路沿いの街路樹、個人のお庭の木まで、依頼はさまざまですね。
Interviewer
子どもの頃から木が好きだったのですか。
梶原 千紗
好き、というより……木がいちばん安心する場所だったんです。父が厳格な人で、家の中がいつも緊張していました。学校でも少し浮いていて、友達づくりが下手で。そんな私が唯一ほっとできたのが、家の裏にあった雑木林でした。大きなコナラの木の根元に座って、ただぼーっとしている。誰も来ない。木は何も言わない。それが心地よかった。今思うと、子どもの頃から木に救われていたんだと思います。
Interviewer
それが仕事になるとは、当時は想像していましたか。
梶原 千紗
全然していませんでした(笑)。大学は親の勧めで農学部の林学科に入ったんですが、「木に関わることなら何でもいいか」という消去法に近かった。卒業後は岡山の造園会社に入って、公園の管理や植栽設計をしていました。でも、働いていくうちに、「この木、どうして元気がないんだろう」とか「もっと根本的に木の状態を理解したい」という気持ちが強くなっていったんです。そこで樹木医という資格の存在を知って。当時はまだかなりマイナーな資格でしたけれど。
Interviewer
資格取得はスムーズにいきましたか。
梶原 千紗
まったく(苦笑)。二回落ちています。樹木医の資格は、実務経験が七年以上必要な上に、研修と審査があって、合格率も低い。筆記はなんとか通るんですが、実地審査で「診断の根拠が浅い」と言われ続けました。三回目に受かったとき、私は三十代半ばになっていました。正直、「もう諦めようか」と思った時期もあって、そのとき、あのスギの木に初めて会ったんです。
Interviewer
今日、私たちが訪れたあのスギの木ですか。
梶原 千紗
そうです。当時、私が勤めていた造園会社が、地元の神社から「御神木が弱っている」という相談を受けて、先輩に連れられて見に行ったんです。それが初対面でした。樹齢は当時でも七百五十年以上と言われていて、台風の被害で大枝が折れ、そこから腐朽が進んでいました。先輩の判断で応急処置をしたんですが、私は処置の後もその木の前を離れられなかった。なんと言うか……「この木は死にたくないと思っている」と確信したんです。根拠なんてないんですけど。その直感が悔しくて、もっと勉強しなきゃと思った。それが三度目の挑戦につながりました。
Interviewer
それが大きな転機だったんですね。独立されたのはいつ頃ですか。
梶原 千紗
資格を取って五年後、四十一歳のときです。夫は最初猛反対でした。子どもが中学生と小学生で、収入が安定しない時期に独立なんて、と。でも私は、自分が本当に必要だと思う木を優先して診たかった。会社員のときは、利益が見込めない仕事は断らざるを得ないこともあって、それがずっと辛かった。お金にならなくても守るべき木がある。そう思ったら、もう会社にいられなかった。夫には「一年だけ試させてほしい」と頭を下げました。
Interviewer
一年でどうなりましたか。
梶原 千紗
ぎりぎり黒字でした(笑)。本当にぎりぎり。神社や自治体からの依頼が少しずつ来るようになって、口コミで広がっていきました。一番助かったのは、島根の自然の豊かさでした。歴史のある神社が多く、手入れを必要としている木が本当にたくさんある。都市部に比べて競合も少ない。島根という土地が私を育ててくれたと思っています。
Interviewer
これまでで最も困難だった仕事を教えていただけますか。
広告
梶原 千紗
三年前、ある山間の集落から依頼が来ました。集落の鎮守の森に、推定樹齢四百年のムクノキがあって、大型台風で幹の半分が裂けてしまったと。現地に行ってみると、確かにひどい状態でした。裂けた部分から雨水が入り込み、内部はすでにかなりの空洞になっていた。地元の方々は長年その木を「お守り木」と呼んでいたので、失うことは集落のアイデンティティを失うことでもあったんです。高齢の方が私の手を握って、『お願いします、この木を助けてください』と言われました。あのプレッシャーは今でも覚えています。
Interviewer
どのように対処されたのですか。
梶原 千紗
まず正直に言いました。「完全に元通りにすることは難しい。でも、できる限りのことをします」と。裂けた部分をきれいに整形して防腐処置を施し、空洞部分にはウレタン系の充填材を使って、ただし通気は確保するように。折れた大枝の跡にはキャップをして雨水の侵入を防ぐ。そして、根元の土壌を改善するために通気管を何本も打ち込みました。全部で四回、半年かけて処置を重ねました。結果として、翌春に新芽が力強く出てきたときは……本当に泣きそうになりました。集落の方みんなで喜んでくださって。あの瞬間のために、この仕事をしているんだと思いました。
Interviewer
逆に、木を救えなかった経験はありますか。
梶原 千紗
あります。何度も。樹木医として一番辛いのは、手を尽くしても枯れてしまうことです。特に忘れられないのは、独立して二年目のケースです。個人のお庭の百年もののイチョウを診てほしいと依頼されて、診断したら根が腐朽菌にやられていて、もう手の施しようがなかった。「伐採するしかない」と告げたとき、依頼者のお婆さんが「このイチョウを亡くなった主人が植えた。主人と一緒に逝かせてやる」とおっしゃった。その言葉がずっと頭に残っています。木はその人の人生の記憶と結びついている。だから私の仕事は、単なる植物の管理ではないんです。
Interviewer
最近、学校での樹木教育にも取り組まれているそうですね。
梶原 千紗
はい。きっかけは、ある小学校の校庭のサクラが弱っていて治療に行ったとき、子どもたちが興味津々で集まってきたことです。「なんで木が病気になるの」「痛くないの」とたくさん聞いてきて、一つ一つ答えていたら一時間が過ぎていた。子どもの目が輝いていて、「あ、これが必要なんだ」と思いました。今は年間十校ほどの小学校を回って、「木の触り方」「木が発するサインの読み方」を教えています。五感を使って木と対話するということを、体験してもらいたいんです。スマホばかり見ている子どもが、木の前に立ったとき本当に静かになる。その瞬間がたまらなく好きです。
Interviewer
木と向き合うことで、桐島さん自身が学んだことは何ですか。
梶原 千紗
「急がない」ということです。木は何百年という単位で生きています。私たちが五分、十分で悩んでいることなんて、木にとってはまばたきより短い時間です。治療をしても、結果が出るのは来年の春だったり、三年後だったりする。その「待てる力」を木から学びました。あと、「環境に適応すること」も。同じ種類の木でも、日当たり、土壌、周りの木との関係で、全然違う形に育つ。それは弱さじゃなくて、賢さなんです。人間も、自分の置かれた環境に合わせて少し形を変えることを恐れなくていいんじゃないかと思うようになりました。
Interviewer
この仕事の喜びを、一言で表すとしたら?
梶原 千紗
「また来年も会える」ということでしょうか。治療した木を翌春に見に行って、新しい葉が青々と出ているのを見たとき。「ああ、また春を一緒に迎えられた」と思う。私はその木の何十分の一かの時間しか生きられないけれど、その木が何百年後も生きているとしたら、私が触れた記憶がどこかに残っている気がする。それが支えになっています。
Interviewer
この仕事を目指す若い人たちへ、メッセージをいただけますか。
梶原 千紗
まず、たくさんの木に触ってください。資格の勉強も大事ですが、知識より先に、木との関係を作ってほしい。好きな木を一本決めて、毎週会いに行く。季節ごとにどう変わるか、記録する。それだけでいい。そして、木の前では自分の先入観をいったん全部置いてきてください。「この木はこういうものだ」と思った瞬間、木が見えなくなります。私のモットーは「木の声を聞けるようになるまで、まず自分を黙らせる」ということです。これは樹木医だけじゃなくて、どんな仕事にも通じることだと私は思っています。
インタビューを終えて、梶原千紗はまたあのスギの木の元へと戻っていった。特に何をするわけでもなく、幹に手を当てて、目を細めて、ただそこにいる。八百年の時間を生きてきた木と、五十四年を生きてきた人間が、しばらく無言で向き合っていた。木は言葉を持たないが、彼女の表情を見ていると、確かに何かが交わされているように見えた。人と自然の関係が問い直される時代に、一本の木を丁寧に生かし続けるという仕事は、どこか本質的なものを指し示している。木が嘘をつかないように、桐島の仕事も、嘘のない誠実さで成り立っていた。
広告
2択で気軽にお答えください(匿名・研究目的で利用します)
桐島さんの仕事の魅力はどちらだと思いますか?
あなたが樹木医に依頼するとしたら、どちらの理由が多そうですか?
桐島さんの言葉で最も印象に残ったのはどちらですか?