漆の沈黙と対話する――四十年、塗り重ねた魂の軌跡
一筋の光沢の奥に、人間の一生が宿る

宮瀬 澄子63歳
漆芸家 / 工房「澄漆庵」
石川県輪島市・キャリア40年
石川県輪島市生まれ。十八歳で地元の漆芸師・故 安部喜助に師事し、二十年の修業を経て独立。「澄漆庵」を主宰し、伝統的な輪島塗の技法に現代的な造形感覚を融合させた作品で国内外から高い評価を受ける。文化庁長官表彰、日本漆工展最高賞など受賞多数。
「漆は嘘をつかない」
Interviewer
宮瀬さん、工房に入った瞬間から空気が違うと感じました。この漆の香り、慣れるまでには時間がかかりましたか?
宮瀬 澄子
(笑)今でも毎朝、工房の扉を開けるたびに背筋が伸びます。慣れるというより、毎日新鮮に「今日も来た」という感覚ですね。でも師匠の工房に初めて入った十八歳のときは、この香りが怖かった。漆はかぶれますから、体が拒絶反応を示す。皮膚が腫れて、目が開かないほどになった日もありました。師匠に「逃げたくなったか」と聞かれて、「なりました」と正直に答えたら、「正直な奴は漆とうまくいく」って笑われて。それが妙に嬉しくて、踏みとどまったんです。
Interviewer
そもそも漆芸の道を選んだのはなぜだったのでしょう。輪島という土地柄、身近ではあったと思いますが。
宮瀬 澄子
身近すぎたんですよね、逆に。輪島で育つと、漆はあまりに日常的なもので――お椀も、お盆も、お正月の器も全部漆。子どもの頃は「古くさいもの」という印象さえあった。転機は十五歳のとき、学校の課外授業で東京の美術館に行き、江戸時代の蒔絵の硯箱を見たことです。ガラスケースの向こうに黒と金だけで描かれた秋草の文様があって……言葉が出なかった。何百年も前の職人が、これを作ったときに何を思っていたのか、急に知りたくてたまらなくなった。帰りのバスの中ずっと泣いていました。なぜ泣いているのか自分でもわからないまま。
Interviewer
師匠の安部喜助さんのもとでの修業は二十年に及んだと伺っています。それほど長い修業の中で、最も厳しかったことは何でしょうか。
宮瀬 澄子
最初の三年間は、漆に触れさせてもらえないんです。木地の研ぎ、道具の手入れ、工房の掃除。毎日それだけ。同世代の友人が就職して給料をもらっているのに、自分は朝から晩まで砥石と向き合っている。二年目の秋に、限界が来て師匠に「いつになったら漆を扱えますか」と聞いたんです。そうしたら師匠は作業の手を止めずに、「お前の研いだ木地を見てみろ」と言った。見たら、鏡みたいに光っていた。「これができるなら次に進め」という意味だとわかったとき、三年間の意味がやっと腑に落ちた。漆を塗る前の素地がいかに大事か、頭でなく体で理解するための時間だったんです。
Interviewer
独立されたのは三十八歳のとき。師匠のもとを離れるのは怖くなかったですか?
宮瀬 澄子
怖かったです。でも師匠が病に倒れたことが、背中を押しました。入院される前日、師匠に呼ばれて「澄子、お前はもう俺から盗めるものは全部盗んだ。あとは自分のものを作れ」と言われた。その言葉が嬉しいのか悲しいのかわからなかった。結局、師匠はその翌年に亡くなってしまって……。独立してからの最初の二年は、作れば作るほど師匠の顔が浮かんでくる。「これじゃない」という声が聞こえるような気がして、一時期ほとんど眠れませんでした。
Interviewer
それが今おっしゃっている「転機」につながるのでしょうか。
宮瀬 澄子
そうです。独立して三年目、二〇〇一年のことです。展覧会に出した作品が全く評価されなかった。技術的には申し分ないと言われるのに「魂がない」と批評家に書かれた。悔しくて、情けなくて、工房に引きこもって三ヶ月、一切作品を作らなかった。その間、ただ輪島の海を見て過ごした。冬の能登の海は荒々しくて、灰色で、美しいとは言えないんですが……ある朝、波打ち際の石が漆を何層も塗り重ねたように光っているのを見て、はっとした。漆は自然のものなんだと。木から採れて、木の器に塗られて、土に還っていく。私は技術を磨くことに必死で、漆そのものの命を忘れていたんだと気づいた瞬間でした。
Interviewer
その気づきが、現在の作風につながっているんですね。宮瀬さんの作品には、伝統的な輪島塗でありながら、どこか有機的な、生き物のような印象を受けます。
宮瀬 澄子
漆は生き物なんです、本当に。温度と湿度に極めて敏感で、同じように塗っても昨日と今日では仕上がりが違う。職人の体調さえ伝わるような気がします。私が体調の悪い日に塗ると、漆も何かくすんで見える。だから今は「漆との対話」という感覚で作っています。私が命令するのではなく、漆が今日どういう状態にあるかを聞きながら、一緒に作っていく。そうしたら自然と、角の立った人工的な形より、流れるような有機的な形に向かっていったんです。
Interviewer
輪島塗は百五十を超える工程があると聞きます。その全工程を宮瀬さんお一人でこなされているというのは驚きです。
宮瀬 澄子
輪島は本来、分業の産地なんです。木地師、塗師、蒔絵師とそれぞれ専門家がいて、工程を分担する。でも私は師匠から「一人で全部やれ」と叩き込まれた。全工程を自分の手でやると、各工程の繋がりがわかる。木地をどう削れば塗りが映えるか、下地をどう整えれば蒔絵が際立つか。全体を見る目が育つんです。一方で、大きなものや複雑なものは時間がかかりすぎて、一点に何年もかかることがある。以前、京都のコレクターの方から依頼を受けた大型の飾り棚は、完成まで四年かかりました。その間、依頼人の方が病気になられて……お届けしたとき、車椅子で受け取ってくださって、号泣されて。私も泣きました。
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Interviewer
漆の技術を次世代に伝えることへの思いはいかがですか。弟子を取らないと伺っていますが。
宮瀬 澄子
それは誤解されていることが多くて……弟子を「取らない」のではなく、「まだ取れていない」が正確なんです。師匠が私にしてくれたように、二十年をかけて一人の人間を育てる。それには私自身がまだ途上にいると感じているから。六十三歳でそんなことを言っているのも変ですが(笑)。でも漆芸の世界には「八十になってやっと面白くなる」という言葉がある。確かに五十を過ぎてから、指先の感覚が変わってきた気がします。技術の精度より、何かもっと根本的なものが見えてきたような感覚。そこに達してから初めて、人に伝えられるものができると思っています。
Interviewer
二〇二四年の能登半島地震では、輪島の町も甚大な被害を受けました。宮瀬さんの工房も被害に遭ったと伺っています。
宮瀬 澄子
工房の壁が崩れて、棚に保管していた漆が大量にこぼれました。それよりつらかったのは、町の景色が変わってしまったことです。ここ何十年も見慣れた路地が、跡形もなくなっている。でも不思議と「もうここでは作れない」とは思わなかった。むしろ逆で、こんなときだからこそ作らなければという気持ちになった。漆は、木が傷つき、樹液を滲ませることで採れるものです。傷ついた木から生まれた漆で、傷ついた土地のために何かを作る。そのことが、今の私には自然なことに感じられるんです。
Interviewer
現在、震災後の輪島の復興をテーマにした連作に取り組まれていると聞きました。
宮瀬 澄子
「再生の器」という連作です。震災で崩れた家屋の廃材から木地を取り、そこに漆を塗り重ねる。最初は傷だらけで、形も歪んでいる。でも漆を何十層も塗り重ねると、傷が漆に埋められ、表面が磨かれ、その下に傷の記憶を内包しながら新しい光沢が生まれる。それは人間が傷から立ち上がる過程と同じだと思っています。完成した器を見た輪島の方が「これは私たちだ」と言ってくれた。作家冥利に尽きる言葉でした。
Interviewer
漆芸という仕事の、最も純粋な喜びは何でしょうか。
宮瀬 澄子
最終工程の「呂色磨き」という作業があります。乾いた漆の表面を、鹿の角を粉にした研磨剤で磨き上げていく。最初は曇っていた表面が、指先で磨くにつれて、だんだん光を帯びてくる。その瞬間、瞬間の変化を見ているときが一番幸せです。暗い部屋の中で、自分の手の動きに合わせて光が生まれていく。まるで漆の中に眠っていた光を、私が呼び覚ましているような感覚。四十年やっていても、この瞬間だけは毎回鳥肌が立ちます。
Interviewer
「漆は嘘をつかない」というのが宮瀬さんの座右の銘だそうですね。
宮瀬 澄子
師匠の言葉です。技術が足りなければ足りないなりの仕上がりになる。心が乱れていれば乱れた表面になる。手を抜けばすぐにわかる。でも逆に言えば、誠実に向き合えば、その誠実さが必ず形に出る。漆は正直な素材です。私は気が短くて、大雑把な人間なんですが(笑)、漆と向き合うことで少しずつ、丁寧に生きることを覚えてきた気がします。漆に鍛えられた四十年でした。
Interviewer
最後に、これから漆芸や伝統工芸に関わりたいと思っている若い人たちへ、メッセージをいただけますか。
宮瀬 澄子
「古い」と思わないでほしい、それだけです。漆は縄文時代から日本人が使ってきた素材で、今もまったく同じ方法で採れて、同じ性質を持っている。何千年も変わらないものが目の前にあるということは、それがどれだけ本質的なものかということです。スマートフォンは十年後には時代遅れになるかもしれない。でも漆は十年後も百年後も、今と同じように人間の手仕事を求め、人間の誠実さに応えてくれる。急いで答えを出さなくていい。焦らなくていい。漆が教えてくれる最大のことは、時間を丁寧に生きるということだと、私は思っています。
インタビューが終わり、工房の外に出ると、冬の輪島の空は鉛色に曇っていた。しかしその雲間から、一条の光が海面に落ちて、水面が漆のように深く光っていた。宮瀬さんが四十年間塗り重ねてきたのは、器の表面だけではないのかもしれない。傷を内包しながら光を宿す漆のように、彼女自身の人生もまた、幾重もの時間と経験が積み重なり、今この瞬間、静かな輝きを放っている。漆は嘘をつかない――その言葉は、作り手自身の生き様にも、確かに刻まれていた。
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